北海道有数の観光都市に、廃線跡が整備された区間があります。それが旧手宮線跡です。北海道で最初の鉄道開業区間の一部で、石炭や海産物の積み出しで重要な役割を果たしました。線路がそのまま残され公園化されていますので、手宮線跡を端から端まで歩いてみました。
北海道初、国内3番目に開通した鉄道
札幌からJRで45分、小樽駅から、小樽運河へ向かう中央通りを下ると、10分もかからない運河の手前に、線路が運河と並行に伸びている旧手宮線跡があります。
北海道開拓時代、石炭を中心とした、物資の輸送に鉄道の開通は大きなファクターでした。旧手宮線は北海道最初の鉄道です。明治政府は北海道の豊富な資源に注目、その開発と輸送を目的に鉄道建設に着手しました。官営幌内鉄道の一部として明治13年(1880年)に北海道初、そして全国でも3番目の手宮線が開通したのでした。
開通当初は小樽の手宮-札幌間、その後、明治15年に幌内炭山のある三笠からの幌内鉄道に連結され、全線が開通、石炭輸送の大動脈のひとつになったのです。小樽港が石炭の積み出し港となったため、港に近い手宮まで鉄道が敷かれたのでした。その手宮線線路跡を端から歩いてみました。まずは、駅前通りを右折し、東側のスタート地点まで歩きます。
生活に密着した市民の散歩コース
旧国鉄手宮線は南小樽から手宮間の約2600m。明治22年に北海道炭礦鉄道に譲渡され、明治39年、鉄道国有法によって国有化されます。昭和60年(1985年)に手宮線が全線廃止。幌内線も昭和62年に廃止となります。小樽市は平成13年(2000年)中央通りから東の510mの用地を取得、同18年(2005年)に中央通りから西側の1160mの用地を取得し、オープンスペースとして公園化します。線路の周辺は遊歩道になっていて、ベンチなどが設置。市民の方が犬などと散歩している光景も目立ちます。
早咲きのツツジが綺麗だったので写真に収めてみました。手宮線跡の両脇は普通の民家や、小樽らしく石造りの古い建物が目立ちます。こんな怪しげ?な建物も。
何か、居酒屋さんみたいですが、機会があれば入ってみたいと思っています。とにかく、都市内の廃線跡でこれだけの線路跡が残っているのは珍しいはずです。鉄道とともに歩んできた街・小樽の皆さんの手宮線への思い入れが伝わってきますね。
こちらは平成22年(2010年)に復元した色内駅>です。旧色内駅は数奇な運命をたどり、大勝年に仮停車場として開設。閉鎖や再開を経て、昭和18年5月に「駅」へと昇格します。しかし同年10月には太平洋戦争の影響で休止。複線だった線路も鉄の供出のため単線化になったりしたとか。昭和37年(1962年)、手宮線の旅客営業廃止に伴い廃駅になります。
復元された駅は休憩施設となっています。
旧手宮線跡は、平成19年に経済産業省が指定する「近代化産業遺産」となっています。
そして、下の写真が現在の手宮線跡地の東端です。通称寿司屋通りを挟んだ、その向こうも、寂れたままの線路の一部が残っていますがボロボロで、そちらは進入禁止できません。
アメリカ人の鉄道技術を導入し開設、アメリカから輸入された蒸気機関車「弁慶号」が手宮線を走ったのは明治13年11月28日でした。当時は1日1往復、札幌までは3時間の道程だったとか。ここはベンチが数多く用意されているため、ひと休みしてもよいでしょう。
レールには105年間の役割を果たした年輪が伝わってきます。
ここから今度は西側へ向かって歩いていきます。中央通りまで戻ると、道路にもレースが残っていて踏切施設なども残っています。
しかし、普通の踏切のように車が一時停車する必要はありません。看板にもその旨が書いてあります。中央通りを越えても、線路と遊歩道が伸びています。今も、小樽市民の生活の中に溶け込んでいると思える風景です。
住宅街の中を通り抜ける旧手宮線ですが、さすが歴史のある街、小樽だけに、古く趣のある建物も沿線に散見されます。
こちらは古い石蔵をカフェにリノベーションしているようです。また、小樽はニシン漁と鉄道で栄え、清酒造りも盛んな街でした。手宮線沿いには、今や数少なくなった、清酒「宝川」を製造する、田中酒造本店の古い蔵もあります。
日本酒が好きな方は購入して、地酒を楽しみながら旧手宮線や小樽を散策するのも楽しいでしょう。西へ進むとともに、敷地が広くなってきます。同線が単線ではなく複線だった名残でしょう。
西側へ進み終着点まで来ると、かつての全盛期を彷彿とさせる複線になります。旧廃線跡から見える残雪が残る小樽の山々が景色のアクセントになっています。
元々の手宮線は現在の軌道位置より、海側に敷かれていました。民家の玄関の前を蒸気機関車が走り抜ける状況だったといいます。明治36年(1903年)4月に手宮地区に大火があり、鉄道施設も被害を受けました。そのため当時の経営会社だった北海道炭礦鉄道が現在の場所を買い上げ線路を移設したのです。
終点は線路がポイントや汽車が線路を移動する分岐点となっていて、その分岐器もそのまま残っています。都市部に廃線跡がそのままリアルに残っている街は全国的にも少ないと思います。
さて、手宮線跡が歩き終わってもこれだけでは終わりません。そのまま線路はつながっていて、手宮線の鉄道施設がそのまま博物館と化した「小樽市総合博物館」の本館があるのです。
旧手宮線を歩いた場合は、こちらの小さな手宮口から入場します。本館のみの入場料は大人300円。運河館や旧日本郵船とのセット券で500円です。入り口に入ると、鉄道ファン、いわゆる「テツ」の皆さんには堪えられない光景が広がっています。
旧手宮駅構内がそのまま博物館化された施設は、北海道で活躍した40両以上の車両がそのまま線路上に展示されています。まず真っ先に目に入ったのが、「C12 6」です。昭和初期の経済恐慌を背景として生まれた小型機関車です。昭和8年に製造され、北海道に配置されたのは同12年の滝川。其の後標茶、そして昭和24年、小樽に配置され昭和48年に廃車になるまで活躍、その生涯の半分を小樽で過ごした機関車です。主にローカル線で活躍したようです。
日本で1台のみの試験車両も展示
珍しいのが、「C12 6」の後ろに展示されていた「ED75 501」です。車両の電化に先立ち1台だけ製造された試験機関車です。
昭和40年代に入り函館本線の小樽-旭川間が電化されることが決定。北海道初の電化車両であることから積雪や寒冷地に適した車両を造る必要があり、昭和41年、試験用に1台だけ製造されました。ほかの同型車両とは大きく異なりブレーキやパンダグラフの凍結を防ぐためヒーターを内蔵したり、耐寒、耐雪に徹底的にこだわったまさに試験車両仕様となっているとか。試験運用で発覚した通信障害のため札幌近郊の運用をせず岩見沢以北で稼働。また、列車暖房用の蒸気装置を備えていないため、貨物車両牽引のみで従事し、昭和61年(1986年)に廃車後、当時の北海道鉄道記念館に保存され、平成22年(2010年)に準鉄道記念物6号の指定を受けています。
人気のC55形やキハ82形も展示
博物館前には3両の機関車が展示されています。
写真右が特急専用機動車「キハ82 1」、中央が蒸気機関車「C55 50」、左が電気機関車「ED70 509」です。
キハ82形は昭和36年(1961)10月に北海道初の特急列車として函館-旭川間で運行され、同43年(1968年)には初の小樽経由の特急「北海」として、函館-旭川間で運用されました。希少な車種であることから平成22年(2010年)に準鉄道記念物5号に指定されています。
C55形は昭和12年に製造され、四国以外の全国で活躍した、SLブームでも人気を博した機関車です。北海道には20両が配置され、函館本線、室蘭本線、宗谷本線などで活躍しました。昭和40年代に入ると蒸気機関車の廃車が進み、北海道では旭川‐稚内間の宗谷本線が仕事場で長距離旅客車を牽引し、ボイラーのスマートな外観が近代的で鉄道ファンに人気でした。昭和50年に廃車となっています。
国指定重要文化財もあり
小樽市総合博物館は旧手宮線駅構内に残された鉄道施設などで構成されていて、そこには、国指定の重要文化財が残っています。
こちらが機関車庫一号と転車台です。一号は明治41年頃に建造され屋根は背面に下る鉄板葺(ふ)き流れになっています。現存しているのは5口のうち右2つで残り3つは平成8年(1999年)に復元されています。左端の車庫にわずかに見えるのが、明治42年(1909年)、アメリカのH・K・ポーター社が製造した「アイアンホース号」。こちらは北海道の鉄道と深い関係があることから、同博物館の前身「小樽交通記念館」(1996年オープン)へむけて、同車を平成5年に購入。現在も約200m、敷地内を走っています。この日は運行2日前でまだ点検中でした。一号手前の転車台は蒸気機関車の方向転換装置です。大正8年に製造され昭和49年3月まで手宮線では使用されていました。平成8年から再び動かせる状態になっています。施設内にはもう1箇所、アイアンホース号が走るレースの端に転車台があり、こちらも今も稼働しています。
1号車庫向かいにあるのが機関車庫三号です。
こちらも一部復元されていますが、明治18年竣工の現存する日本最古のレンガ造り機関車庫です。車庫内には日本人による国産蒸気機関車2号機の「大勝号」が展示されているのですが、門は締まったまま。当時の運営会社「北海道炭礦鉄道」の手宮工場で明治28年(1895年)に誕生しました。現存する国産車両では最古のものです。そのほかこれらの裏側にある危険庫、貯水槽、擁壁などが文化財指定されています。
屋外の施設を見るだけでも結構な時間がかかります。博物館本館内部も簡単に紹介しておきましょう。
本館に入ると、すぐ目に入るのが、まるでアメリカン西部劇にでてくるような蒸気機関車と客車です。
明治18年(1885年)5月、小樽に6番目の機関車として小樽に配置されます。名前は義経の妻「静御前」から「しづか」と命名されました。同形の機関車は明治39年の鉄道国有化以降、7100形の形式名となり、しづかは7106号となっています。こちらは内部にも入ることができ、構造がわかります。
館内は明治時代の開拓以降の北海道や小樽の鉄道の歴史を詳しく学ぶことができます。当時の切符、時刻表の展示、鉄道開拓の苦闘の状況がパネルやジオラマ、映像などバリエーション豊かな内容になっています。2階は科学展示室になっていて、子供などが遊びながら楽しめる施設となっています。
博物館の正面入口(出口)には客車を利用したレストラン「トレノ」があり、観光客以外に地元客にも人気のようです。
天井の荷物置きはそのまま使われています。筆者はランチのミートソースパスタを頼みました。基本、洋食屋さんなので、小樽グルメと関係なくてすみません。
しかし特製のミートソースがタップリとかかっていて、シンプルながら奥深く、非常に美味でした。
まとめ
旧手宮線廃線跡の旅は思った以上に楽しいものでした、総距離約1.6㎞の「スタンド・バイ・ミー」という感覚でしょうか。最終地点が、旧手宮駅の鉄道施設をそのまま利用し、歴代車両が並ぶ総合博物館ですから何度も言うようですが、鉄道ファンには堪えられないでしょう。決して鉄道ファンではない筆者でも楽しめましたから。観光都市・小樽の中では地味な散策ですが、鉄道と歩んだ小樽の本質が分かって貴重な体験になると思います。
▽スポット情報
小樽市総合博物館本館
住所:北海道小樽市手宮1丁目3-6
TEL:0134-33-2523
URL:https://www.city.otaru.lg.jp/simin/sisetu/museum/
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