地元・北海道の知られざる歴史や史跡をたびたび訪問し、調べてきました。今回は、北海道と呼ばれる前の古代史、縄文時代についてです。北海道には弥生時代がないなど、古代人、縄文人、アイヌ人を通じて、本州とは違う固有の文化があることがわかっています。今回はいまだ謎といわれる環状列石群(ストーンサークル)や、洞窟画などを見に、小樽市、余市町を訪ねてみました。
小樽・余市境界周辺に集中する環状列石
皆さん、環状列石をご存知でしょうか?ストーンサークルと言い換えれば、聞いたことがあるかもしれません。縄文時代の遺跡で、大小の石数十個が円形に連なる史跡です。集団の墓と今のところ考えられていますが、いまだ用途はハッキリせず、謎に包まれています。UFO(未確認飛行物体)やオカルトが流行った昭和時代には、古代人が宇宙人と交信するために造られたと言われたものです。北海道の縄文時代は約9000年に渡り続いたと考えられています。本州に稲作が伝わり、弥生文化が発達した時代も津軽海峡を通じて、北海道には伝わらず、同時代は続縄文文化と言われる時代が続き、オホーツク文化、擦文文化、アイヌ文化と独自文化が受け継がれてきました。
残念…荒れ放題だった国指定史跡「忍路環状列石」
ストーンサークルは北海道各地に散見されますが、狭い地域に大規模な集中しているのは、小樽市と隣の余市町です。小樽市には余市町がすぐ隣の忍路(おしょろ)地区、余市町も忍路の隣となる栄町周辺に縄文遺跡が数多く存在します。まずは国指定環状列石に向かいました。小樽駅から中央バスに乗り約25分で「忍路中央小学校前」で下車します。
バス停を降りると、そこは都心から離れているので、長閑な山間地の田園風景が広がります。JRの踏切を超え歩いて15分ほどで、看板が見えてきます。
私有地(農地)の中にあるので、駐車場などはありません。見学するときは周囲の迷惑にならないように細心の注意が必要です。農道を50mほど歩いたところに、忍路環状列石の説明の看板があり、史跡が姿を現します。
しかし、そこは国指定というには、雑草などが伸び放題、整備がきちんとなされていない状態でした。サークル内には進入は禁止なので、望遠レンズなどで撮影しています。雑草の中に数多くの石が連なっているのは確認できます。
忍路環状列石は三笠山山麓を緩斜面を平坦に聖地し、大きな立石と周囲に小石を楕円状に連ねた横33m×縦22mの大規模な遺跡です。縄文時代後期(約3500年前)と考えられていて、前述したとおり、「区画墓」と呼ばれる集団の墓地と言われていますが、詳細は分かっていません。江戸末期の文久元年(1861年)に発見されています。土木工事が行われ造られたこの遺跡により、周囲には大きな集落があったことが想像できます。日本の考古学史上、初めて学会に報告され、1961年に国指定史跡に認定されています。しかし、同遺跡の規模の大きさは何となく分かるのですが、雑草だらけの荒れ放題では、せっかくの貴重な遺跡が台無しで、筆者の落胆は大きかったです。小樽市の役場の皆さん、しっかり整備して頂くことを望みます。
山頂に位置する地鎮山環状列石
落胆した忍路環状列石を後にし、向かったのは、同遺跡から西へ約1㎞離れた地鎮山です。
標高50mというより、小高い丘陵という感じです。こちらにもストーンサークルが存在します。
こちらも砂利道に入っていき、鬱蒼とした山道を登っていきます。
こちらの山道は階段が整備されています。数日前の豪雨により、倒木などもありましたが、10分ほどで、頂上に到着しました。そこにあるのが北海道指定史跡「地鎮山環状列石」です。
こちらも真夏だっただけに雑草などは目立つものの、ある程度整備され、ストーンサークルの状態がわかります。
形は楕円形で、12個の大石が10m×8mの規模で配置されています。昭和24年(1949年)に行われた発掘調査で中央付近の石を詰めた付近から縦横2m、深さ1mの四角い墓穴が発見されました。現在、その部分はコンクリートで墓穴を再現しています。
この近辺には小規模なストーンサークルも複数みつかっているそうです。こちらは忍路とは違い、山頂の森林の中にあり、環状列石の状態も分かります。平日に来る方はもちろん筆者だけ、静寂の中、縄文後期の人々がどんな理由でこのような環状列石を作ったのか、どのような信仰をしていたのか想像の世界に浸ることができました。霊性も感じることができました。
素晴らしい保存状態と景観の「西崎山環状列石」
地鎮山を後にし、向かったのは余市町にある「西崎山環状列石」です。蘭島川沿いの農道をのんびり歩きながらバス停に向かいます。川にはアオサギが餌を食む牧歌的な風景が続きました。
忍路から再びバスに乗り約4分、「フゴッペ洞窟前」で下車します。「フゴッペ洞窟」も縄文時代の貴重な史跡なので、最後に紹介します。フゴッペ洞窟前からは徒歩で約25分、乗用車なら約5分の距離です。フゴッペ川沿いの道を進み、通称「フルーツ街道」に登り、小樽側へ進むと、トンネルの手前に看板が現れますので左折します。
ストーンサークルの入り口に到着します。入り口には駐車場も完備されています。そこから百段以上の急階段を登るので、結構な運動になります。
階段を上り切ると、切り株を敷き詰めた遊歩道が続いています。非常に歩きやすく、これまでの中で最も整備されています。
遊歩道を通り過ぎると到着したのは見事に保存されているストーンサークルが姿を現します。
こちらも縄文後期の遺跡で、直径1mほどの環をつくり、7か所のサークルが残っているとか。元はそれ以上あったと思われ、墳墓群だったと推定されています。西崎山丘陵には4つのストーンサークルがあり、このうち、公開されている、この第1区が昭和26年(1951年)に北海道指定の史跡に認定されています。こちらも楕円形で横17m×縦12mで、大小数百個の自然石が並べられています。また、同サークルの敷石付近からは多数の縄文土器の破片が発見されています。
素晴らしい保存状態で、ここは来た甲斐がありました。謎の多いストーンサークル。この石ひとつひとつに、そしてサークルにどのような意味が込められていたのか。想像するだけで楽しいし、古代にタイムスリップできます。また、同史跡のある場所は標高70m。史跡の側は開けており、余市と日本海の素晴らしい眺めも堪能できます。
写真で分かると思いますが、左側に突き出ている半島の先はシリパ岬と呼ばれています。西崎山ストーンサークルは、同岬の石が運ばれ、加工されているのです。古代の縄文人がなぜ10㎞以上離れている岬の岩石を使ったのか、そしてどのように運んだのか、いまだに解明されていないのです。古代史好きには縄文ロマンを掻き立てられる場所としてオススメですよ。
国指定史跡「フゴッペ洞窟」もオススメ
最後に、「フゴッペ洞窟」も紹介しておきます。この洞窟は余市の海岸から200m奥の丘陵の海食洞窟に古代人によって描かれた刻画です。昭和25年(1950年)、地元の中学生により発見され、昭和28年に国指定史跡となりました。風化を防ぐために、刻画の周りを覆い、博物館化しています。洞窟の入り口は暗いカプセル化され、ガラス越しに見学できるようになっています。入館料は大人300円。本来はこちらをメインに紹介したかったのですが、撮影禁止のため断念しました。
同洞窟には約800点あまりの刻画が岩面に描かれています。刻画は火山灰が固まった柔かい砂岩で掘りやすく、石や鹿の骨、貝などを使ったようです。ベンガラを使った彩色の刻画も残っていました。
人や動物の絵、中小がのようなものが数多く描かれ、調査により約2000~1500年前の続縄文期(本州以西は弥生~古墳時代)のものと分かっています。ロシアを初め北東アジアに同様のものが見つかっていますが関連は分かっていません。このような岩面刻画があるのは、日本では同所と小樽市の「手宮洞窟」だけです。ちなみにストーンサークルとは時代的に関連性はありません。
まとめ
地味で地元の方もあまり見学しないと思われるストーンサークル群ですが、古代史好きや、謎に包まれた北海道の歴史に触れるという意味では、ロマン溢れる史跡です。過去がなければ現在の我々も存在しない。この事実を考えると興味深いと思うのです。大陸から切り離され島となった日本。日本人はどこからきたのか、「北海道人」はどこから来たのか、日本人は単一民族ではなく、実に多様性にあふれた民族であると最近は感じています。ちなみにフゴッペ洞窟の向かいには評判の良い温泉「保養センター はまなす温泉」がありますが、当日は臨時休業でした。こちらもオススメですよ。
▽スポット情報
忍路環状列石・地鎮山環状列石
住所:北海道小樽市忍路2丁目
TEL:0134-32-4111(小樽市役所教育部生涯学習課)
URL:https://www.city.otaru.lg.jp/simin/gakushu_sports/bunkazai_isan/bunkazai/
西崎山環状列石
住所:北海道余市郡余市町栄町551番地
TEL:0135-22-6187(余市水産博物館)
URL:https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/syoukai/bunnkazai-nisizakiyama.html
フゴッペ洞窟
住所:北海道余市郡余市町栄町87番地
TEL:0135-22-6170
URL:https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/syoukai/fugoppe.html
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