日本一終電が早い駅がある町・新十津川町を訪ねて

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北海道に日本一終電が早い駅があるのをご存知ですか?JR札沼線(通称:学園都市線)の北側の終着駅・新十津川駅。2016年3月のダイヤ改正で、1日1往復となった同駅のある町は新十津川町です。駅もさることながら、同町は北海道の開拓史の中でも、特異な経緯を持って切り開かれた物語があります。そんな新十津川町を訪れ、歴史の一端に触れてきました。

 

減便の悲劇が鉄道ファンの話題に

 

札沼線(学園都市瀬)はこれまで、秘境駅・豊ヶ岡駅などを紹介してきました。筆者はこの沿線に在住のため、生活の中でよく利用しています。鉄道ファンではないですが、非常に好きな路線です。桑園駅から新十津川駅までの76.5㎞。札幌駅から石狩当別、もしくは次の駅の北海道医療大学駅までは3両、もしくは6両の車両なのですが、それ以降は新十津川駅まではキハ40形という1両のディーゼル車でワンマンの単線というまさに「ザ・ローカル線」になります。北海道医療大学から新十津川間の1日の乗車人数は平均81人。これは北海道最低だとか。そのため、医療大以降はバス転換などで近い将来、廃線にすることが濃厚になっています。そして、新十津川駅発着便は1日1本に減便されたため、「日本一終電の早い駅」として、鉄道ファンが訪れるようになりました。

 

園児や柴犬が乗客をお出迎えに

 

筆者は札沼線の新琴似駅から朝7時11分の石狩当別行きに乗車、7時45分の石狩当別から新十津川に向かう「最終列車」に乗り換えました。

この日は、医療大学の学生の通学とぶつかったため、この1両車両が満員となりました。こんなのは初めてでした。彼らが下りた後はかなり空きましたが、それでも多くの鉄道ファンと思われる方が乗車しています。この状況を見たのも初めてでした。上の写真は、医療大駅以降、唯一無人ではない月形駅。ここで上り列車とすれ違うため20分ほど停車します。ノンビリした旅です。

月形から新十津川駅までも、過疎地帯ですので広大でのどかな田園地帯が広がり、ローカル線を走っている気持ちを高めてくれます。空知地方や上川地方は今では北海道、いや全国でも屈指の穀倉地帯となっています。

新十津川駅に到着したのは午前9時28分。新十津川駅に向かったのは7月13日でしたが、この日もうだるような猛暑で、摂氏32度にもなり、朝と言えども陽射しが強烈です。黙っていても汗が出てくるなど北海道ではそうありません。そんな中、街の保育園の職員の女性と園児の方がお客さんを迎えに出てきて、手作りのポストカードを配っていました。

筆者も頂きました。とてもアットホームなサービスで心がホッコリしました。

載ってきた下りの最終電車が折り返し、新十津川駅発の最終電車となります。

時刻表には午前9時40分発の一便のみ。関東や関西などの都会にお住まいの方は衝撃的でしょう。

折り返し発車を待つ午前9時40分発の「最終便」。なかなかシュールな状況だと感じます。

駅の向こうには線路止めがあります。ここが終着駅の証明です。元々、札沼線は新十津川から約35㎞北の石狩沼田駅まで続いていましたが、1972年に廃止となっています。さあ、最終便の発射です。

降りてきた鉄道ファンのほとんどが再び乗車して、石狩当別へと向かいます。そんな光景もなかなかないですよね。そして、園児の子供たちが「バイバーイ!」と元気にお見送りをしていました。こんな光景がいつまで見られるのだろうか。何とか、この路線を残していくことができないだろうか、とちょっとしんみりしました。

町の方も、存続に必死で、1日1往復を逆手に取ってPRしています。現在は町民が買っている柴犬「ララ」を新駅長に任命し、制服を着せ、毎週土、日曜日を中心に乗客を送り迎えしていて、新聞の地方版などに掲載され話題になっています。駅の中は写真や新聞の切り抜き、宣伝ポスターが一杯です。

この小さな駅自体も建築86年目という、札沼線の苦難の歴史を背負ってきた駅です。駅も減築され、今の形になっています。周りは住宅街で、秘境感はまったくないのですが、札幌からそれほど距離もないのに、同駅に行くのは非常に困難ということで秘境駅と呼ぶのもふさわしいかも知れません。終電が発車し人がはけた後は、本当にヒッソリしていました。同駅から300m歩いた新十津川町役場に行くと、到達証明書が無料で頂けます。

ちなみに最終便で帰らなかった場合、札幌方面にどう向かうかは、役場前にバス亭があり、JR札沼線の浦臼駅まで向かいます(約30分)。浦臼駅から石狩当別駅までは1日4,5往復運行しています。もしくは函館本線のJR滝川駅に向かうかです。滝川駅からは特急も運行していますよ。

 

奈良の十津川村の災害で移住してできた町

 

樺戸郡新十津川町は札幌から北北東へ約80㎞の場所にあり、人口約6700人の農畜産物が主要産業の小さな町。ミニトマトなども名産です。特に米作、最近では日本酒用の酒造好適米は北海道一の生産量を誇っています。鉄道ファン以外、本州などから来られる観光客の方はそうはいないと思いますが、この町独特の興味深い歴史があるのです。それを知るために、筆者は、役場から歩いて15分ほどの、新十津川町開拓記念館を訪れました。

同記念館は町の開基90周年を記念して建築されています。入館料は大人140円と非常に安いです。年配の学芸員の方が、アットホームに色々と説明していただきました。

開拓前の前史なども興味深いのですが長くなるので、ここは移住のいきさつなどを簡単に説明していきます。新十津川町を切り開いたのは、奈良県は最南端に位置し陸の孤島と呼ばれた山岳が重なり合い、奈良県の5分の1を占める、全国屈指の巨村・十津川郷(十津川村)の村民たちでした。独立独歩の歴史を歩んできましたが、朝廷との関係は深く、幕末の御一新(明治維新)の際は倒幕運動に十津川郷士も活躍したといいます。そんな十津川郷に悲劇が訪れたのは明治22年(1889年)8月、大暴風雨に見舞われ、住家の全半壊610戸、水田の50%、畑の20%が流出し、村の4分の1が壊滅しました。死者も168人、負傷者20人を数え、未曽有の大災害となりました。

災害を受けた人々は、ハワイ、北海道を移住地としての候補に挙げ、関係者が北海道を視察するなどして、明治政府の援助も受け、当時はトック原野と呼ばれていた同地への移住を決めました。同年10月には610戸2489人の人々が同村を出発神戸から船で北海道へ渡り、1か月後の11月18日に空知太(現滝川市)の屯田兵舎を仮住まいとし、そこからトック原野に向かい、ここに新しい十津川を創設するという意味で「新十津川村」と名付け、開拓を始めました。

この時、移住民たちは、「移民誓約書」を起草し、千辛万苦に耐え、励まし合い、助け合いながら開拓を成功させることを誓いあったとか。山の民だった十津川郷の移住民が北海道に渡った時、見渡す限りの原野と原始林、地帯が続く光景に衝撃を受けたことは想像に難くありません。生活自体も冬は経験したことのない寒さ、夏場は、本州にはない強烈なやぶ蚊やブヨの大群、ノミやシラミ、そして時にはヒグマの恐怖もあったでしょう。それを耐え忍び、開墾し、畑作から水田を増やしていき、屈指の米どころへと変化させました。

移住民は故郷の村のことを忘れたことはなく、今でも、奈良の新十津川郷のことを「母村(ぼそん)」と人々は呼んでいます。とはいえ、最初の移民の方が残ったのは610戸のうち半分の300戸だったとか。100戸は深川に移り、100戸は滝川で屯田兵となり、100戸は生活や寒さに耐えかねて母村に戻っていきました。厳しい開拓生活だったことが偲ばれます。

その後、北陸や四国からの移住も相次ぎ、母村に関わりのある町民は昭和30年代には11%ほどになったと言われています。少しずつ関係の希薄化が進んでいますが、現在も交流は続いていて、剣道の合宿や修学旅行などで互いの地へ訪れあっています。開拓記念館ですが、こじんまりとしながら、展示物は約1000点と豊富。見どころは多く、歴史が好きな方なら興味深い展示物が揃っているので、訪れてみるのも良いかと思います。自分のルーツを探るために訪れる新十津川ゆかりの道産子も多いとか。

 

感動の物語がある金滴酒造

 

小さな町の新十津川町ですが、苦難と感動の歴史があることを知る方はそう多くはないでしょう。そして、その感動の歴史の一部を担う、酒蔵が同町には存在します。道産子にはよく知られている金適酒造です。新十津川駅からは国道275号線を歩いて20分ほど。

レンガ造りの蔵が明治期建立の趣を感じさせます。創業は明治39年(1906年)です。明治22年に入植した移住民たちの開拓は鬱蒼とした原始林の開拓は困難を極め食料も乏しく、祭りを開いたり酒を飲むどころではありませんでした。政府の援助も限度があり、移住民は10年間は断酒をして開拓に励むことを誓い合いました。それから16年、田畑の収穫も一定の目処がつき、初めて酒を飲んで良いことになりました。

祭りを開いてドブロクを久々に村民たちは「俺達の呑む酒は俺達で造ろう」という話となり、村民9人が発起人となりン81人の賛同者を集め明治33年9月1日、北海道酒造業界初の純法人組織として「新十津川酒造株式会社」を設立しました。基本的に全国の酒造会社は蔵元が存在します。蔵元がいない形で始めた酒造会社は全国でも稀にみる形だと思います。最初の銘柄名は徳富川、花の雫でしたが、大正7年に現在の『金滴』という銘柄に変え、昭和26年に現在の金適酒造と改称しています。そんな感動秘話を誇る同酒造ですが、2009年に経営難で民事再生を申請し、2010年に外部から杜氏を呼び、2011年には全国新酒鑑評会で大吟醸が金賞を受賞するなど、全道の左党の心をつかみましたが、2015年に杜氏が蔵を離れ、今は再び正念場を迎えています。

決して不味い酒ではないのですが、今は面白味がない味わいに感じます。先人たちが、自分たちで作った酒を初めて飲んだ時の感慨は如何ばかりか。特異な歴史を誇る蔵なので、何とか良い酒を作ることを願っています。

 

物産館で奈良県ルーツの「めはりずし」を食す

 

新十津川町のグルメも食べたかったので、新十津川物産館の「レストランくじら」に入りました。

1階が物産館、2階がレストランとなっています。2階に上がると町で発見された巨大な「シントツカワクジラ」の化石が目立ちます。レストランに入り頼んだのは「メガ盛りざるラーメン」に「めはりずし」のセットでした。

こちらが生まれて初めて食べるめはりずし。特大おにぎりよりもまだ大きいです。高菜の茎を刻んで、カツオと混ぜ、塩味をつけたおにぎりに、塩漬けした高菜の葉を巻いた食べ物です。シンプルな塩味と柏餅のような高菜の葉の匂いが心地よい一品。奈良県十津川村から和歌山県新宮市にかけての熊野地方の名産で元々は木こりの弁当だったとか。腹いっぱいの後は1階に降りて、金滴酒造の酒粕を使った「酒アイス」を進められたので頂きました。

ソフトクリームというよりシャーベット状になっていて、酒粕の甘味とわずかなアルコール感が心地よい。非常に上品な味わいですし120円とコスパは抜群だと思います。

 

まとめ

 

蝦夷地と呼ばれ、正式には日本ではなかった場所に、和人が明治の開拓時代から一斉に移住してきた北海道。筆者も自分のルーツは正直、よくわかっていません。全国の多様な地域から渡ってきているので、それぞれの地にそれぞれの歴史があると思います。新十津川町もまさに物語にもできる歴史を持っていました。1日1便で話題となった新十津川駅もその一端を担っています。これからも各地の知られざる歴史探訪をしていきたいですね。

▽スポット情報

新十津川開拓記念館

住所:北海道樺戸郡新十津川町字中央1-1

TEL:0125-76-2662・76-4233

URL:http://www.town.shintotsukawa.lg.jp/kanko/

 

金適酒造株式会社

住所:北海道樺戸郡新十津川町字中央71-7

TEL:0125-76-2341

URL:http://www.kinteki.co.jp/

 

新十津川町物産館

住所:北海道樺戸郡新十津川町字中央5-1

TEL:0125-76-3141(新十津川総合振興公社)

URL:http://www.town.shintotsukawa.lg.jp/kanko/detail/00000359.html

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