コロッセオまで一直線!皇帝の夢の跡フォーリ・インペリアーレ!

スポンサード・リンク



ローマの中心ヴェネツィア広場からコロッセオに向かって一直線に伸びるフォーリ・インペリアーレ通り。両側に、皇帝たちが権威を誇って築いたフォロの跡が並ぶファシズムの時代の名残の広い道路。

現在この通りはバスなど公共車両以外通行禁止ですが、さらに日曜や祭日には歩行者天国で細長い巨大な広場のようになります。古代遺跡を見ながらベンチに座ってくつろいだり、大道芸人をひやかしたりのんびり古代遺跡を楽しめます。また、夜の美しい幻想的なライトアップもお見逃しなく!

 

フォロ・ロマーノに代わる新しい豪華なフォロ!

 

カエサルの活躍した共和制末期、古代ローマは現在のフランスから中近東まで国境を広げた巨大な国に成長していました。これまでの公共の広場フォロ・ロマーノでは、小さすぎて国の機能を十分果たせなくなってきたため、紀元前54年、カエサルがフォロを広げるために、フォロロマーノに隣接してカエサルのフォーロを建設します。

続いて、アウグストゥス帝、ドミツィアーノ帝、ネルヴァ帝、トライヤヌス帝と続く皇帝たちがそれぞれの名前を冠したフォロを建設します。これらのフォロを、これまでのフォロ・ロマーノに対して、皇帝たちの造ったフォロ、フォーリ・インペリアーリ(FORI IMPERIALI)と呼ばれます。

その後、古代ローマ帝国の崩壊とともにフォーリ・インペリアーレも放置され、中世になると廃墟を利用して建物を造ったり、新しい建物を造るときの資材を探す場所となります。

 

夜景も美しい!コロッセオを背景にした唯一の景観

 

近代、ファシズムの時代(1924年~32年)になると、ムッソリーニがヴェネツィア宮殿からコロッセオまでまっすぐに続く道路、フォーリ・インペリアーリ通りを建設します。それまであった建物をすべて取り壊したために、地下に埋もれていたフォーリ・インペリアーリが姿を現しました。

コロッセオから自分の宮殿まで行進してくる兵隊の姿を、ヒットラーに見せて自慢しようというムッソリーニの思い付きだったそうです。権力者ならではのエピソードです。

2015年、ローマの誕生日4月21日に、イタリアの誇るオスカー賞受賞監督ヴィットリオ・ストラーロと建築家フランチェスコ・ストラーノによるLEDを使った美しい芸術的なライトアップが披露されました。夜のフォーリ・インペリアーレは昼間と違って幻想的な美しさです。

 

カエサルのフォロ

 

フォロ・ロマーノに隣接する場所に紀元前54年から46年にかけてカエサルが建設したカエサルのフォロ。当時すでに建物が立ち並んでいた場所だったのですが、カエサルが莫大な資金で買い取ったということが、古文書に記録されています。また、きちんと地ならしをして平らにならし、ローマ独特の石灰華という素材の石をきれいに床に敷いて舗装した本格的なフォロでした。

100m×50mの広場の3方を柱廊で囲み、北側にはカエサルの先祖に当たる愛と美の女神ヴィーナスの神殿を建てました。中央には、カエサル自身のブロンズ製の騎馬像を設置していました。カエサルは権力を掌握する直前に暗殺され皇帝にはなれませんでしたが、まさしく皇帝並みの財力、権力を持っていたことがこのフォロに反映されています。

 

アウグスティヌス帝のフォロ

 

紀元前42年、カエサルの養子だったオッタヴィアーノが、カエサルを暗殺した敵との戦いの前夜に、勝利を得た暁には復讐の神マルスのための神殿を建てる、と決意したのが始まりです。カエサルのフォロに次いで2番目に建てられた皇帝のフォロ。

紀元前2世紀になって完成したフォロは、120m×120mの大きさで、70m×50mの広場を中心にした大きなフォロです。このフォロは背後にあるモンティ地区に対して、高さ30メートルもある高い壁で遮られています。当時はスブッラという庶民的な住宅地と一線を画すことによって、頻繁に起きていた火事から守る意味もありました。

司法の中心として機能したこのフォロには大きな裁判所、そして伝説のローマ建国の祖と言われるトロイ戦争のアイネアスから、初代王ロモロなど、様々な神話や歴史上の英雄、そしてカエサルから連なるジュリアス家の人々を描いたギャラリーがありました

広場の奥には約束通り復讐の神マルスに奉げる神殿、そして左側の柱廊に面した部屋には、おそらくアウグスティヌス帝自身の巨大な彫像があったと言われます。古代ローマ時代、最も多く自身の彫像を残した皇帝だけあって、芸術の与えるイメージ効果というものをよく知っていたのでしょう。

 

トライヤヌス帝のフォロ

 

5賢帝の1人で、古代ローマ帝国の領土を最大にしたトライアヌス帝の建てたフォロ。彼の時代にはすでにフォロがたくさん作られ、新しいフォロを造る場所がなかったため、クイリナーレの丘を削って平地に地ならしをして建てられました。300,000㎥もの量の土を取り除いたそうです。トライヤヌス帝のお気に入りの建築家アポロドーロ・ディ・ダマスコにより95年から105年にかけて実現しました。

造成工事によりできた4.2ヘクターものトライアヌス帝のフォロは、完成までさらに7年も要しただけあって、当時の人々から世界の7不思議のひとつと言われるほど美しいフォロと評されました。

中央に皇帝の騎馬像、そして周りをエクセドラもある柱廊で囲んだ大きな広場、奥には皇帝自身の名を冠したウルビアのバジリカ。そして中央にトライヤヌス帝の記念柱を挟んで、両側にそれぞれギリシア語とラテン語の2つの図書館まであったそうです。

トライヤヌス帝のフォロは、床が大理石でできていたため、中世にかけて取り外されて教会などの建築資材に転用されたと言われます。

 

世界初のマンガ?トライヤヌス帝の記念柱

 

40mもの高さのあるクイリナーレの丘の一部を壊して造ったトライヤヌス帝のフォロ。以前の記憶を残す意味で、巨大な大理石を19個重ねた40メートルの高さの記念柱

この柱にトライヤヌス帝は、現在のルーマニアで行われたダキア戦の様子を、マンガのように情景をひとコマづつ分けて浮き彫り描いたことで有名です。この記念柱の中は空洞でトライヤヌス帝の墓になっています。

柱の頂上にはトライヤヌス帝の像が飾られていましたが、中世になって聖ペトロの像に置き換えられました。すぐ近くには双子のようなよく似たクーポラのある教会が経ち、キリスト教の記念柱のようにも見えます。

今日まで記念柱が破壊を免れたのは、キリスト教の聖人の像が立っていたおかげでもあるのです。

古代ローマ時代のショッピングセンター

 

トライヤヌス帝のフォロに付随する大きなエクセドラに沿って、3階建てのショッピングセンターもありました。1階部分は11に区分されて広場に面してワインやオリーブオイル、生鮮食料品などの商店が並び、2階部分は屋根の付いた回廊、3階部分はテラスにエノテカや食料品店が並ぶ凝った作りになっています。

この半円部分のショッピングセンターは奥行が広く、現在は背後の丘の上にある11月4日通りに入り口がある博物館、トライヤヌス帝の市場です。中に入ると両脇に商店が並んでいた様子がよく残っています。ここで小麦の配給などもされていたそうです。

建物の奥には広いテラスがあり、ここからフォーリ・インペリアーリ、ヴェネツィア広場が見渡せます。1200年代初頭には、ローマ市内に現存する貴族の塔としては1番規模が大きく50mもの高さのある塔が付け加えられました。古代の遺跡とともに中世が同居する不思議な光景が広がります。

 

MERCATO DI TRAIANO(メルカート・ディ・トライアーノ)

住所:VIA IV NOVENBRE,94

開館時間:9時30分~19時30分、入場は閉館の1時間前まで

休み:1月1日、5月1日、12月25日

入場料:13EURO、割引11EURO (6歳~25歳)

スポンサード・リンク



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください