シスト橋を渡ってテヴェレ川を超えたところにあるトラステヴェレ地区は、パブやレストランが立ち並ぶにぎやかなエリアです。
ところがヴァチカンの方へセッティミアーナ門をくぐると、閑静な地区が広がり、ファルネジーナ荘というより、ファルネジーナ離宮と訳したほうがぴったりな美しいルネッサンス様式の宮殿があります。
ここでは、内部に天才芸術家ラファエッロが描いた珠玉のフレスコ画があるファルネジーナ荘をご紹介します。
アゴスティーノ・キージとファルネーゼ家
「歓喜の宮殿」とも呼ばれたほど華麗なファルネジーナ荘(VILLA FARNESINA、ヴィッラ・ファルネジーナ)は、銀行家アゴスティーノ・キージが郊外の館として1506年に建てた宮殿です。
テヴェレ川の向こう、しかもトラステヴェレ地区の城門セッティミアーナ門(PORTA SETTIMIANA)から外に出た静かな地区の文化サロンとして人気を集めました。
1465年シエナで生まれたキージはローマで商才と運に恵まれ、ローマ法王アレッサンドロ6世の御用達の銀行家になります。
アレッサンドロ6世の死後も、続く法王ジュリオ2世、レオ10世とも、益々商売を発展させ、国際的に有名な銀行家としての地位を不動のものにします。こうして莫大な財を手にしたアレッサンドロ・キージは、ラファエッロなどのお気に入りの芸術家たちのパトロンのような存在でした。
キージの死後、ファルネジーナ荘はローマの有力貴族ファルネーゼ家の手に渡ります。
テヴェレ川を挟んでちょうど向かい側に所有していたファルネーゼ宮殿と橋でつないで、川を挟んだ巨大な宮殿にする予定だったそうです。
なんともルネッサンスらしい豪華な話ですが、結局は実現しませんでした。川の向こうの大きなファルネーゼ宮殿と区別するために、小さなファルネーゼの館という意味でファルネジーナ荘と呼ばれるようになりました。
ラファエッロの描いた海の妖精のギャラリー
宮殿に入るとまずは有名なガラテアのギャラリー(LOGGIA DI GALATEA)です。
1511年頃にラファエッロが描いたフレスコ画は、ギリシア神話に登場する美しい海の妖精ガラテアをモチーフにした「ガラテアの勝利」です。
ラファエッロは自分の恋人をガラテアのモデルにするつもりだったのですが、アレッサンドロ・キージに当時の愛人インペリアをモデルにするように命じられ、カンカンに起こったというエピソードが残っています。
イルカにひかれた貝殻に乗った海の妖精ガラテアは、ラファエロらしい優しい色使いと伸び伸びとした明るい表情で軽快な印象のフレスコ画です。
円蓋にはアゴスティーノ・キージが生まれた時の占星学のフレスコ画があり、そのまわりには、キージ自身が呼び寄せたヴェネツィアの画家セバスティアーノ・ピオンボが神話のモチーフを描いています。
1か所は当時ローマでラファエッロのライヴァルだったミケランジェロが忍び込んで描いたのですが、ラファエロが消さないで残したと噂されましたが、実際はバルダッサーレ・ペルッツィの作品だそうです。こうした都市伝説が生まれるほど、この宮殿のフレスコ画は話題だったのです。
美しすぎるアモーレとプシュケのギャラリー
アモーレとプシュケのギャラリー(LOGGIA DI AMORE E PSICHE、ロッジア・ディ・アモーレ・エ・プシュケ)は、アゴスティーノ・キージが自分の結婚式のためにラファエロに依頼しました。
キージは長年の愛人で彼の文化サロンに君臨していた高級遊女のインペリアと別れ、年若い遊女を花嫁に選んだスキャンダルな結婚でした。
ギリシア神話「アモーレとプシュケの結婚」は、美貌のプシュケに嫉妬した美の女神ビーナスの物語。
プシュケが醜い男に報われない恋をするように、ビーナスは息子アモーレ(キューピッド)に恋の矢を射るように命じます。ところが、アモーレは間違って恋の矢で自分の指を傷つけ、プシュケに恋してしまいます。
さらに嫉妬に狂ったビーナスが、様々な難題をプシュケに出して2人の恋を邪魔しようとしますが、最終的に乗り越えて結婚する物語です。
若い花嫁が、億万長者キージとの身分違いの結婚に対する試練を乗り越えるという寓話のようです。
デザインしたのはラファエロで、弟子であるジュリオ・ロマーノやジョヴァン・フランチェスコ・ペンニたちが完成させたと言われますが、ラファエロらしい色使いと繊細な優しいデザインで、ため息が出るような美しいギャラリーです。
遠近法の間と婚姻の間
2階に上ると1515年頃ペレッツィの描いた「遠近法の間」があります。円柱の向こうにローマの街を描いていて室内にいるとは思えないようなだまし絵です。この部屋で当主の結婚の披露宴も行われたと言われます。この部屋には、毎晩のようにローマの有力者が集い豪華な宴会が繰り広げられたそうです。
また、隣室にはソドマの描いた「アレキサンダー大王の生涯」のフレスコ画があります。特に「アレクサイダー大王とロクサーヌの結婚」のフレスコ画があることから、この部屋は「婚姻の間」と呼ばれています。天井にもびっしりと装飾が施されているこの部屋は、当主アレッサンドロ・キージの寝室だったそうです。窓からは、手入れの行き届いた広大な庭園が広がっています。
古代ローマ時代の宮殿を発掘
1884年になるとテヴェレ川の護岸工事が始まり、川沿いに大通りが建設されます。
この工事のために川沿いのファルネジーナ荘は、残念ながら美しい庭園の一部と、恐らくラファエロのフレスコ画があったと思われるロッジアを失ったと言われます。
その一方で、護岸工事の際中に偶然、ファルネジーナ荘の地下にあった古代ローマ時代の建物の遺跡が発見されました。
色鮮やかなフレスコ画のある館は、恐らくアウグスティヌス帝の片腕であったアグリッパの家だと言われてます。現在これらのフレスコ画は、テルミニ駅近くにある国立ローマ博物館マッシモ宮に展示されていますが、2000年前とは思えない美しい色彩とデザインで一見の価値がある素敵なフレスコ画です。
1500年の時を超えて、偶然にも美しいフレスコ画のある館が同じ場所に建てられていたなんて、とても不思議な感じです。
ただこの古代の家も、大部分は工事のために破壊されてしまいました。イタリア王国の首都となったために行われたローマの大工事で便利になった反面、失われたものは、本当に残念です。
ヴィッラ・ファルネジーナ(VILLA FARNEGINA)
住所:VIA DELLA LUNGARA230
電話:06.68.027.268
開館時間:9時~14時
定休日:日曜日、但し第2日曜日のみ9時~17時まで開館
料金:6EURO
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