ひとつひとつの橋にも歴史がある!テヴェレ川とローマの橋散策

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永遠の都ローマを流れるテヴェレ川。古代ローマの時代から、交通の行き来をスムーズにするために橋が架けられてきました。単に橋と言っても、普通の橋ではありません。今でも残る2000年前の橋、バロック時代にベルニーニの彫刻を施した橋、イタリア王国時代の重厚な彫刻が施された橋など、ローマの歴史を物語るいろいろな時代の橋が架かっています。観光に疲れたら、テヴェレ川の河畔を散歩して、ローマの歴史に思いを馳せてみませんか?

 

テヴェレ川とともに栄えてきた古代ローマ

 

川のそばに街を築いてきた古代ローマ人。もともと農耕民族であったローマ人にとって、水は欠かせない要素です。そして商業や通交、街の防衛線としても欠かせない大事な川。

それまでイタリア半島で栄えたエトルリア人が丘の上に街を築いてきたのとは好対照です。テヴェレ川の海よりの西岸はヴィテルボ、オルヴィエートなどエトルリア人起源の街が今でも残っています。一方アルノ川のほとりのフィレンツェ、セーヌ川のパリ、テムズ川のロンドン、すべて古代ローマ人が築いた街なのです。

ローマを流れるテヴェレ川は、イタリアで3番目に長い川です。エミリア・ロマーニャ州のアルペン山脈を水源として、トスカーナ、ウンブリアを経てローマへ流れ着き、古代遺跡のあるオスティア・アンティーカのあるオスティアの海岸へと流れ着きます。

 

ローマ発祥の地にかかるパラティーノ橋と古代の下水道

 

ローマ建国の祖である双子ロモロレモが王位を狙う叔父によってテヴェレ川に流され、たどり着いたのが、「真実の口」で有名なサンタ・マリア・コスメディアン教会のあるあたりということになっています。2700年前には、このあたりの洞窟で狼が双子を養育してくれたそうですが、今の車の行き来が激しい様子からは想像もできませんね。

ここから、テヴェレ川の反対側に向かってかけられているのはパラティーノ橋。今の橋は1886年に作られた鉄筋の橋で、トラヴェルティーノという石材でおおわれています。この橋のたもとには、クロアカ・マクシマという古代ローマの下水道の排水口を見ることができます。この下水道、すでに紀元前600年に造られたのですから、古代ローマ人の土木工事の能力には目を見張ります。

 

古代ローマの2つの橋!壊れた橋とファブリチオ橋

 

ちょうどこの川がカーブしているあたりにあるのが、テヴェレ川の唯一の中州ティベリーナ島です。まるで船のような形をしているこの島には、起源前291年には医学の神様に奉げられた神殿がありました。10世紀には神殿のあとに教会が建てられ、16世紀になると教会の向かいにファーテベーネフラテッリ病院が建てられました。現在でも人気の公立病院として使われています。

ティベリーナ島の東側にかかっているファブリチオ橋紀元62に完成した古代ローマ時代の橋です。ほとんど修復もされずに2000年以上も使われている古い橋です。

ティベリーナ島の南側の端っこへ行くと目の前に見えるのが、壊れた橋(PONTE ROTTO、ポンテ・ロット)です。起源前179に建てられた橋は、その30年後には橋脚が石材となり、アウグスティヌス帝のころには、ローマで一番大きい橋に修復されたという長い歴史を誇る橋です。

ただ川の流れが速い地点にあるために何回も流され、そのたびに修復を重ねられた橋も、1598年に半分が流されたのが最後です。残った半分は700年代の終わりごろまでは、ローマっ子たちが散歩したり、ビールを飲んだりする場所として使われていたようです。現在はほんの一部が残るのみですが、パラティーノ橋を通りかかる観光客などが思わず立ち止まるほどの迫力満点の姿を保っています。

 

バチカン市国へと続く芸術作品のような2つの橋

 

もともとハドリアヌス帝が自身とその家族のために建てた霊廟であるサンタンジェロ城と、その真ん前にかかるサンタンジェロ橋は、2世紀に作られました。バチカンへ続くこの橋は、1450年の聖年の年に巡礼者でごった返して、200人の信者が命を落とす恐ろしい事故が起きるほど、人通りの多い場所でした。

17世紀になるとローマ法王クレメンス9世がバチカン巡礼のシンボルとして、橋を整備することを決め、当時の一流芸術家ベルニーニに橋の欄干を飾る天使像の作成を依頼しました。テヴェレ川を渡ってバチカンまであと一息という橋に美しい天使像を並べるなんて、とても粋な演出です。現代の私たちでも息をのむ美しさですから、当時田舎から来た巡礼者は、どんなに驚いたことでしょう。

デザインはすべてベルニーニによるもので、うち彼の彫った作品は2体で、残りは弟子たちの作品だと言われます。この2体も劣化を防ぐため飾られているのはコピーで、本物はスペイン階段近くのサン・アンドレア・デッレ・フレッテ教会の中に飾られています。

 

このサンタンジェロ橋のすぐ南端、サンピエトロ大聖堂前のコンチリアツィオーネ通りへ続く橋が、エマヌエーレ2世橋。18世紀の末にイタリアを統一した初代イタリア王を記念して作られました。両方の橋のたもとにはブロンズ製の勝利の羽をデザインした2本の柱、橋の真ん中には、イタリア統一、自由、勝利、祖国への信頼をイメージした4つの大理石の彫刻が飾られた豪勢な橋です。

 

キリスト教勝利のシンボル!ミルヴィオ橋

 

ローマの中心より北。サッカーの試合が行われるスタディオオリンピコの前にかかっているPONTE DUCA DAOSTA橋よりも一本北にあるミルヴィオ橋。この橋は、ローマで最も重要な橋のひとつです。

紀元前206年に作られたこの橋で、312年世界史の重要な出来事、ミルヴィオ橋の戦いが繰り広げられました。結果は、前夜にキリストのシンボルを掲げて戦えば勝利するというお告げのもとに戦ったコスタンティヌス帝。この勝利によって、皇帝はキリスト教の公認を決めるのです。歴史にもしもはタブーですが、もし、コスタンティヌス帝が負けていたら、その後の歴史は全く違うものになっていたのです。

教会は、このミルヴィオ橋の戦いをモチーフにした絵をたくさん画家に描かせたので、今でも美術館や教会で多く見かけます。実際は、18世紀末にバラディエールという建築家によって改築されているので、当時とは全く違うデザインですが。

最近では、2007年にヒットしたイタリア映画「IO VOGLIO DI TE」で、主人公のカップルが、永遠の愛を誓うためにミルヴィオ橋の街灯に南京錠をかけ、そのカギをテヴェレ川に投げ入れるというシーンがありました。早速マネをする人が増えたために、街灯が折れるという事件が起きるほど流行しました。

 

このようにいろんな表情を見せるテヴェレ川とそこにかかる橋たち。テヴェレ川沿いは自転車専用道路と遊歩道になっています。ゆっくり散歩をして、テヴェレ川の橋を見てみるのもローマの楽しみのひとつです。写真を撮るベストスポットもたくさんあるのでカメラもお忘れなく。

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