ローマの名物?オベリスク

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ローマの代表的な教会のある大きな広場では、必ずと言っていいほどオベリスク(OBELISCO、オベリスコ)がそびえ立っています。オベリスクとは古代エジプトで不滅の太陽神の象徴として神殿の前に飾られていた細長い四角柱のことです。完全な形で現存するオベリスクとしては、本家本元のエジプトよりも実はローマに多く存在していると言われています。ここでは、古代エジプトの太陽神の象徴であるオベリスクが、唯一神を拝むキリスト教の国イタリアに、どうして教会の前に飾られているのかをご説明いたします。

 

オベリスクとは何?

 

紀元前1000年以上前の古代エジプトの新王国時代に起源を持つオベリスク。串を表すギリシア語をオベリスクといい、古代ギリシア人がオベリスクの形を見てこう呼んだと言われています。先に行くほど少しづつ狭くなる細長い四角柱で先端は四角錐の形をしていて、重量が数百トン、長さ数十メートルもの大きなものです。太陽神の象徴として神殿の正面に2本組で左右に飾られ、表面に象形文字で神を讃える言葉などが刻まれていました。

巨大な岩を少しづつ非常に硬い石でたたいて、横に寝かせた形のオベリスクを掘りだし、最終的に先端部分に固い縄などをつけテコの原理を使い大勢の人の力で立てたと言われています。また表面の象形文字も、同じように硬い石で少しずつ掘り進めたそうです。金属のなかったエジプトでこのような大事業が可能だったのは、当時の王権が相当強大であったことの証明です。

 

地中海を渡ったオベリスク

 

紀元前31年古代エジプトのプトレマイオス朝女王クレオパトラと政敵アントニウスの連合を破り、エジプトを征服した古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスが、ヘリオポリスにあった古代エジプトの神殿前から2本のオベリスクを運んできたのが始まりです。運ぶと一口に言っても、20メートルを超える巨大な石の柱を現代の重機なしに海を超えるのです。また、イタリア半島についた後も、ローマまでテヴェレ川で運んだのでしょうか?川岸から目的地まで、そして建たせる技術。どれをとってもローマ皇帝の権力の強大さ、そしてローマ人の技術に驚かされます。

バチカン美術館の地図のギャラリーに、オベリスクを運ぶ様子を描いた図がありますが、オベリスクの大きさの巨大な筏船ヲ作り、横に載せて運んできました。

 

古代ローマの街をさまざまに彩る

 

最初に運ばれてきたオベリスクは、1本は「ベン・ハー」の映画で有名な戦車レースの指標にするために大競技場チルコ・マッシモの中央分離帯に置かれました。もう1本はアウグストゥス帝の日時計の指標として使われたそうです。確かに時計の針のように先端が四角錐になっていますね。

古代ローマの時代は多神教の国で異国の神々にも寛容だったため、エジプト征服以前からエジプト神の信仰も流入していました。特にイシス(ISIDE、イシデ)神という女神信仰は当時盛んに信奉されていたので、ローマにあるイシス神殿の正面を飾っていました。

また、様々な技術に長けていた古代ローマ人は、1世紀ごろにはローマでも盛んにオベリスクの製造を行い、古代ローマ帝国にはかなりの数のオベリスクが存在したようですが、帝国滅亡後、ローマが戦乱によって略奪され破壊されていく間に、ほとんどのオベリスクは倒れ、地中に埋もれて忘れ去られてしまうのです。

法王シクストゥス5世のローマ改造

 

皇帝によるローマがキリスト教会によるローマとして復活し、さらに繁栄を遂げる中で、16世紀後半法王の座を射止めたシクトゥス5世は、在位5年というわずかな期間に街路の整備、水道橋の復活など様々な都市整備を行います。その中でも特に重要なのが、サン・ピエトロ大聖堂の近くにあったネロ帝の競技場後に建っていたオベリスクを、サンピエトロ広場の中心に運ぶことでした。しかも、その際に太陽神のシンボルオベリスクの頂上にキリストの十字架をつけたのです。このことは古代ローマ帝国の栄光を、キリスト教会の中に復活させたという意味をもつのです。

この5カ月にも及ぶ大事業が成功した後、地中に埋もれていた他の多くのオベリスクも掘り出され、大聖堂をはじめとするローマの主要広場に十字架付きのオベリスクが建てられました。当時すでに年間かなりの巡礼者が訪れていたローマの街で、迷わないための地図代わりの目印として役立つようになったのです。

 

現在のローマのオベリスク一覧

  1. サン・ピエトロ大聖堂広場:カリグラ帝がエジプトから搬送、高さ25メートル。
  2. ポポロ広場:アウグスティヌス帝が運んだチルコマッシモにあったオベリスク。紀元前13世紀のもので高さ24メートル。
  3. モンテチトーリオ広場:前出のアウグスティヌス帝の日時計。紀元前6世紀のもので高さ22メートル。
  4. クイリナーレ宮殿前広場:アウグスティヌス帝が、自分自身の廟の入り口に建てたローマ作のオベリスク。
  5. エスクイリーノ広場(サンタ・マリア・マジョーレ教会の裏):同じくアウグスティヌス帝の廟のもう1本。
  6. サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の裏の広場:コンスタンティヌス帝が運んだ。高さ32メートルもあり、最大かつ紀元前15世紀作という最古のオベリスク。
  7. パンテオン前のロトンド広場:ヒエログリフから紀元前13世紀ころのラムセス王時代のものと推定。14世紀にパンテオン近くのサン・マクト広場で発見されサンタ・マリア・アラチェーリ教会に建てられたあと、18世紀にこの場所に移転。
  8. サンタ・マリア・ミネルヴァ教会前のミネルヴァ広場:約1世紀ごろにエジプトより運ばれ、この場所近くにあったイシス神殿の正面を飾られていたと言われる。現在はベルニーニ作の象の上に建てられている。小ぶりで高さが約5.5メートル。
  9. ナヴォナ広場:マクセンティヌスの競技場で発見されたドミティアウス帝時代のもの。材料である赤色花崗岩をエジプトから運びローマで作成。ローマを代表する天才芸術家ベルニーニの4大河の噴水の上部に飾られている。先端には十字架の代わりに、この場所に建てた法王イノケンティウス10世の紋章である鳩が飾られている。
  10. スペイン階段の上:サルスティウス庭園で発見された古代ローマ時代のコピー。ポポロ広場のオベリスクの碑文をコピーし同じ象形文字が彫られている。
  11. ボルゲーゼ公園のピンチョの丘:2世紀にハドリアヌス帝によって作成されたもの。
  12. チェリオ公園:ラムセス2世の太陽神のもので、パンテオン前のオベリスクと対になっていたが、現在は一部のみ現存。
  13. ディオクレティアヌス浴場跡の脇:ラムセス2世の太陽神のもの。

最後に

21世紀の現在でも、巨大なオベリスクは今でも十分観光客の目印として機能します。有名な観光地に行くと、実は必ず目にすることになるオベリスク。象形文字の有無や色、大きさなどそれぞれに異なるので観察してみることをお勧めします。

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