歴史の重みを感じさせるトラステヴェレのコルシーニ美術館

ローマ

テヴェレ川の向こうを意味するトラステヴェレ地区。にぎやかな下町から少し離れると、閑静なルンガーラ通り沿いにコルシーニ宮殿があります。18世紀にローマ法王御用達の建築家フェルデナンド・フーガによって改装された宮殿は、スウェーデン女王やナポレオンの弟も居城とした美しい建物です。現在は、国立古典美術館コルシーニ宮殿として、18世紀の貴族の宮殿時代そのままに名作が一般公開されています。

 

コルシー二宮殿

 

ラファエッロのフレスコ画で有名なファルネジーナ荘の真向かいに、コルシーニ宮殿(PALAZZO CORSINI、パラッツオ・コルシーニ)があります。15世紀にローマ法王シスト4世の甥、リアリオ枢機卿によって建てられました。17世紀にはスウェーデンのクリスティーナ元女王がこの宮殿を住まいとし、文化人の集まる優雅なサロンの場として華やかな時代を築きました。

その後1736年にこの宮殿を買い取ったのが、ネーリ・マリア・コルシーニ枢機卿。ローマ法王クレメンテ12世の甥であるコルシーニ枢機卿は、大統領官邸クイリナーレ宮殿を手掛けた建築家フェルデナンド・フーガに依頼して、現在の美しい庭園の広がる宮殿に全面的な改装を行いました。

ナポレオンがヨーロッパを席巻し、弟ジョセフ・ボナパルトがフランス大使としてローマに在任した際に、居城として選んだのが荘厳なコルシーニ宮殿でした。その後1883年にイタリア国家に売却され、現在はバルベリーニ宮殿と共通の国立古典美術館(GALLERIA NAZIONALE D’ARTE ANTICA、ガッレリーア・ナツィオナーレ・アルテ・アンティーカ)として、イタリア、フランドルを中心に1400年~1800年頃までの名画を揃えています。これらは、ネーリ・マリア・コルシーニ枢機卿の集めたプライベートコレクションを中心に当時のままに展示しています。

また、この宮殿には現存する最古のアカデミー・リンチェイ(ACCADEMIA DEI LINCEI)の本部もあります。1603年に創設された数学、自然科学、哲学の研究学会で、1611年には、地動説で有名なガリレオ・ガリレイもメンバーとなり、「太陽黒点論」と題した著作の出版も行っています。何度も活動を中断しつつも続いてきた伝統あるアカデミーは、現在540人のメンバーで活動を続けています。

 

コルシーニ美術館のおすすめカラヴァッジョ

 

 

ローマの中心地から少し離れたコルシーニ美術館は、静かにゆっくりと鑑賞できる優雅な美術館です。壁一面にたくさんの名画が当時のままに飾られているさまは、まるで貴族のお屋敷に入り込んだようです。特に説明書きなどもないので、名作を見逃さないように各部屋に置いてある展示作品名を紹介したパンフレットを確認することをお勧めします。英語版とイタリア語版があります。

まず1番の見所はカラヴァッジョの「砂漠の洗礼者ヨハネ」です。真っ黒い闇を背景に、半裸の洗礼者ヨハネが羽織っている赤いマントの色の対比が印象的な作品です。カラヴァッジオは洗礼者ヨハネをモデルにした作品を何枚も描きましたが、1605年頃のこの作品は、瞑想しているヨハネを照らす光に浮かび上がる身体をリアルに描いています。

同じ洗礼者ヨハネを描いたグイド・レーニの「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」も必見です。無表情でヨハネの首を持つサロメが、逆に何とも不気味な印象を与えます。また、スパニョレットと呼ばれたスペイン人画家ホセ・デ・リベーラの描いた傑作「死せるアドニスを見つけたヴィーナス」。美しい人間のアドニスを愛してしまったヴィーナスは、アドニスに狩りに行かないように忠告します。ところが彼女の忠告に背いて死んでしまったアドニスを見つけた瞬間のヴィーナス、という有名なギリシア神話の一場面を描いた一枚です。

他にもルーベンスの「聖セバスティアーノ」、ファン・アイクの「エジプトでの休息」、ブリューゲルの「冬景色カナレットの「ヴェネツィアの景色」。そしてベアート・アンジェリコの描いた祭壇画「最後の審判」もお見逃しなく。また、サン・ジョヴァンニ大聖堂の近くで発見された古代ローマ時代の大理石の椅子も、一面に浮彫が施してある見事な作品です。

スウェーデン女王の寝室

美しいフレスコ画で飾られた第5室は、元スウェーデン女王の寝室でした。1632年両親の死により6歳でスウェーデンの女王の座を即位したクリスティーナ女王は、とてもリベラルな考えの持ち主でした。カトリックとプロテスタントとの宗教戦争のさなか、両派の和平とキリスト教の安寧を願っていたのですが、当時のスウェーデンは絶対主義、そしてプロテスタント主義だったため、28歳で従兄であるカルロ10世に王位を譲り退位しました。

カトリックへと改宗し自由な立場でヨーロッパを周遊したクリスティーナ女王がローマを訪れる際、当時のローマ法王であるキージ家出身のアレッサンドロ7世は、熱烈な歓迎を行いました。プロテスタントのクリスティーナ女王が退位までしてカトリックになったことは、カトリック教会にとって勝利を意味する重要な出来事だったのです。クリスティーナ女王は、ローマのコルシーニ宮殿に移り住みむことを決め、1689年にこの部屋で人生を終えました。

バチカンはカトリックに改宗し平和を願った女王の勇気と意思を讃え、サン・ピエトロ大聖堂に他の法王たちと一緒に埋葬しました。女性でサン・ピエトロ大聖堂に祀られているのは、彼女を含め3人だけだと言われます。

 

ヨーロッパを旅する名画たち

 

実は現在飾られている名画のほかにも、クリスティーナ女王がコルシーニ美術館に住んでいた当時は、ルーベンス、ティッツィアーノ、ヴェロネーゼ、コレッジオをはじめとする数々の名画がありました。これらは北イタリアのマントヴァ公国が所有していたもので、神聖ローマ帝国軍がマントヴァ公国を支配したときに略奪しプラハへ運びました。その後、プラハを包囲したスウェーデン王グスタフがこれらの名画をストックホルムへ運んだのです。そしてクリスティーナ女王がローマに来た際に、それらを再びイタリアへ運んできたのです。

ところがその後クリスティーナ女王はフランスの有力者に売却し、今度はパリへ運ばれていったそうです。今はどこにあるのでしょうか?歴史的に非常に高い価値を持つ絵画は、このように支配者によってヨーロッパ中を移動した経緯を持っているのです。絵画までも権力者の気の向くままに翻弄されてきたのかと思うと、何とも複雑なエピソードです。

 

住所:VIA DELLA LUNGARA 10

電話:06.6880.2323

開館時間:8時30分~19時

定休日:火曜日、1月1日、5月1日、12月25日

料金:10EURO(バルベリーニ美術館との共通券、10日間有効)

Gallerie Nazionali Barberini Corsini

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