映画「テルマエ・ロマエ」ですっかり有名になった古代ローマ人の公衆浴場。古代ローマ帝国時代、歴代の皇帝によってローマ市内のみならず帝国の多くの都市に建造されたテルマエ・ロマエは、温泉だけではなく、スポーツクラブ、図書館、レストラン、庭園などを併設した総合レジャーセンターです。しかも公共サービスの一環として、無料同然の値段で入場できるとあって古代ローマ人をすっかり魅了したのです。現在のローマには公衆浴場も温泉の習慣もありませんが、約2000年前のローマ人たちが愛した巨大な浴場についてご説明いたします。
古代ローマ初の公衆浴場は紀元前1世紀
2000年も前のローマ人が日本人のように公衆浴場を楽しんでいたことでも驚かされた「テルマエ・ロマエ」ですが、実は公衆浴場の歴史はさらに古代ギリシア時代にまで遡ります。オリンピックをはじめとするスポーツ競技が盛んだった古代ギリシアでは、スポーツクラブのような体育館でトレーニングをし、その後、付属した公衆浴場で汗を流す習慣があったのです。ナポリ郊外にある有名なポンペイの街は、古代ギリシアの植民地として発展した町だったので、遺跡には紀元前4世紀に起源を持つ本格的な公衆浴場が残っているのです。
ローマに大浴場ブームが起こるのは、古代ギリシア世界との接触のあとになってからの帝政期です。当初は権力者にのみ許される贅沢だった大浴場。紀元前20年ごろ初代皇帝アウグストゥスの娘婿アグリッパも、自身の作ったパンテオンの近くに大規模な浴場を造ります。この温泉のために、トレヴィの泉を終点とするヴィルゴ水道を引いたというのですから本格的な大浴場です。紀元前12年アグリッパの死後、このプライベートな大浴場がローマ市民へ残されたのがローマの公衆浴場の始まりなのです。その後、歴代の皇帝たちが次々に浴場を建設したので、大きな都市には必ず一つは公衆浴場があったと言われます。
歴代皇帝のローマ市内の公衆浴場
古い記録によると帝政期にはローマ市内に11も大浴場があり、そのうち7つの浴場跡が残っています。古代ローマ時代の最後には、プライベートの浴場も市内に約900もあったそうですから、温泉ブームのすごさがわかります。
1.アグリッパの浴場跡:パンテオンの裏手にあるアルコ・デッラ・チャンベッラ通りには、後世の建物に埋め込まれた浴場跡が今でも見られます。
2.ネロ帝の浴場跡:パンテオンとナヴォーナ広場の間に紀元64年に建設された浴場は左右対称の形に設計された皇帝の浴場のモデル。
現在、イタリア上院議事場であるマダマ宮の地下には、テルマエのセントラルヒーティングの遺構が残っています。
3.ティトウス帝の浴場跡:コロッセオを完成させたティトウス帝が、コロッセオの北、オッピオの丘に80年に建設。比較的小規模な公衆浴場。
4.トラヤヌス帝の浴場跡:104年~109年にドムス・アウレアのあたりに建設した330m×315mもの大きな浴場。ここに飾られていたと思われるローマの市街地を描いた10m四方の大きなフレスコ画が出土しています。
5.カラカッラ大浴場:212年~217年に建設された、最も豪華で現在でも比較的保存状態がよい浴場。現在夏の間、ローマオペラ座の公演の一環としてオペラやコンサートなどが催されます。
6.ディオクレティアヌス帝の大浴場:現在のテルミニ近く共和国広場にあった帝国内最大の大浴場。298年から306年にかけて建設され、130,000㎡を超える広さがあり、一度に3000人が入浴できました。共和国広場は大浴場のエセドラ跡を利用した半円形が使われています。現在は内部にローマ国立博物館が置かれていて、巨大な廃墟のような浴場の遺構と貴重な出土品が展示されています。また16世紀以降一部が教会に転用されたので、ミケランジェロが設計した100m四方の大きな回廊があります。
7.コンスタンティヌス帝の大浴場:クイリナーレの丘にある大統領官邸クイリナーレ宮のあたりに4世紀初めに建てられたローマ時代最後の大浴場。この浴場からは、クイリナーレ広場にあるディオスクーリという双子の彫像、カンピドーリオ広場のコンスタンティヌス帝の騎馬像、ナイル川とテヴェレ川の神様の像など多数発掘されています。
古代のレジャーセンターであるテルマエ、カラカッラ浴場
公衆浴場と言っても、現代の日本の温泉レジャーセンターよりもより大規模で豪華だったのが古代ローマのテルマエです。たとえば、数あるテルマエの中でも最も贅沢であったと言われるカラカッラ帝の浴場跡(TERME DI CARACALLA)を見てみましょう。
まず、中央に3つの大きな浴室を配し左右対称に脱衣室や運動場などを配した複合施設で、午後の日当たりがよいように南西むきに建てられていて、周りをぐるりと庭園が広がっています。
この大きな敷地を取り囲む四角い柱廊には、運動場、図書館(ギリシア語とラテン語の2種類)、談話室、食堂などもありました。また、地下にも薪置き場などがあり、幅の広い地下通路が張り巡らされていました。このテルマエでは、1度に1600人が入浴できたのです。
212年から5年の歳月をかけて建設された10万㎡もある大きなカラカッラ帝の公衆浴場は、床や壁がすべて大理石やモザイクで覆われていて、あちこちに美しい彫刻や噴水が配置された相当に美しいレジャー施設であったと言われます。今でも床の一部の美しいモザイクを見ることができます。現在フランス大使館であるファルネーゼ宮の前に置かれている大きな噴水は、この浴場跡から発掘されたものです。
古代ローマ人のテルマエの習慣
公衆大浴場は、通常午後になると入場でき、日没まで使用していたようです。左右にある2つの入り口から入ると、浴室を柱ごしに眺めるホールを通り抜け、運動場や体育室でランニングやレスリング、様々なボール競技を楽しんだ後、サウナで汗を流します。そのあと、中央に一列にならんだ3つの温度の違う浴室でしっかりお風呂を堪能。まず高温浴室(カリダリウム)で発汗作用をさらに促してから、微温浴室(テピダリウム)へ浸かり、最後に冷温浴室(フレギダリウム)で体を引きめつつ、プール(ナターティオ)へ飛び込んで泳ぐこともできました。お風呂の後は、香りのよいオイルでマッサージを楽しみます。
お風呂の後は、談話室でおしゃべりをしたり、広い庭を散策したり、図書館で本を読んだりして過ごします。大きなホールや半円形のエセドラでは哲学者や弁論者が議論をしたり、教えたりもすることがるような文化施設としても利用されていました。
また、柱廊にはレストランで食べたり飲んだりすることもでき、物売りもいたそうですから、完全なレジャーセンターとして機能していました。
古代ローマは混浴だった?
ポンペイで発見された紀元前の浴場では、男湯と女湯と別れていたことがわかっていますが、帝政期のローマの浴場には、左右対称の構造をしているにも関わらず、主要な浴室部分は各種一つずつしかありません。皇帝列伝によるとハドリアヌス帝が男女別々の入浴を規定したそうですが、実態はわかっていません。恐らくは時間によって男女の入場時間を分けるなどして調整していたのでは、と考えられています。
ローマ市内には数多くの大規模な浴場が造られましたが、天然の温泉が湧き出ていたわけではなく、火を焚いて沸かしていました。いくら皇帝の権力が偉大でも、男女別にそれぞれ2つの浴槽を作るという気がなかったのでしょうか?
それにしても、まったく規模が違うローマのテルマエ。カラカッラ帝の大浴場跡、ディオクレティアヌス帝の大浴場跡では、当時のスケールの大きさが実感できます。ぜひ、足を運んでみてはいかがですか?
カラカッラ大浴場(テルメ・ディ・カラカッラ、TERME DI CARACALLA)
住所:VIALE DELLA TERME DI CARACALLA 52
開館時間:9時~17時(2月16日~3月15日)
9時~17時30分(3月16日~3月最終土曜日まで)
9時~19時15分(3月最終日曜日~8月31日)
9時~19時(9月)
9時~18時30分(10月1日~10月最終土曜日まで)
9時~16時30分(10月最終日曜日~2月15日)
※9時~14時(通年月曜)
料金:6EURO(クインティッリ荘、チェチリア・メッテッラの墓との7日間共通券)
ディオクレティアヌス帝の大浴場(テルメ・ディ・ディオクレツィアーノ、TERME DI DIOCLEZIANO)
住所:VIALE ENRICO DE NICOLLA 78
開館時間:9時~19時30分(月曜休み)
料金:7EURO(マッシモ宮ローマ国立博物館、アルテンプス宮ローマ国立博物館、クリプタ・バルビとの3日間共通券。
コメント