ローマに来たら必ず訪れたいのがヴァチカン市国。キリスト教カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂を中心とした、世界で最も小さい独立国家で、元首はローマ法王。主権国家と言っても、同じような形態の国はどこにも存在しない、世界で唯一の特徴的な国です。
小さいながらも、国全体が世界遺産に登録されていて、見所がたくさんあり、とても1日では足りないくらいです。ここではヨーロッパの歴史の表舞台を常に彩ってきたヴァチカン市国について、ご紹介いたします。
ヴァチカン市国って?
ヴァチカン市国とは、ローマ市内に位置するわずか0.44㎢の国土を持つ、世界最小の主権国家です。ヴァチカン市国の元首はローマ法王。現在はイタリア移民をルーツに持つアルゼンチン人のフランチェスコ法王が、第266代目の法王を務めます。初の南米出身の法王を見ようと、現在は、南米からたくさんの巡礼者が訪れています。法王の住居は、サン・ピエトロ寺院に向かって右側の建物です。日曜日には、書斎である右端の窓からミサを行います。
人口は約830人ですが、住民のほとんどが世界中から集まったキリスト教の聖職者という特殊な国家構成で、公用語はラテン語、外交にはフランス語、通常はイタリア語が使用されるというユニークな国です。通貨は、イタリアと同じEUROを使用します。
国の内部には、小さいながら世界最短と言われる鉄道の駅もあり、おもに貨物輸送に伝われています。また、郵便局もあり、独自の切手も販売しています。絵葉書を日本に郵送する場合は、イタリア人が働くローマ市内の郵便局より、カトリック教会が運営するヴァチカン郵便局から投函するほうが、早く届くと言われているので、ぜひお試しください。
ヴァチカン市国に入国するには、パスポートは必要?
1984年、ヴァチカン市国全体が世界遺産に登録されています。その国土はサン・ピエトロ大聖堂、ヴァチカン博物館、ヴァチカン庭園、そして飛び地のかたちで、主要な大聖堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ、サンタ・マリア・マッジョーレ、サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ大聖堂をはじめとした教会などで構成されているので、一か所にまとまっていません。
サン・ピエトロ大聖堂や博物館、庭園などは、ぐるりと城壁で囲まれていますが、サン・ピエトロ広場は一般に公開されていて、だれでも自由に出入りができます。この広場からの入り口は、国境とは思えないほどオープンで、ローマ市の一部のような感じです。世界中のキリスト教徒のために開かれている教会なので、パスポートの提示は必要なく、入場料も必要ありません。ところが、サン・ピエトロ大聖堂へ入場するには、空港のようなセキュリティーチェックが必要でしたが、最近は特にテロの影響で検査が厳しくなっています。
この念入りな手荷物検査は時間がかかるので、サン・ピエトロ大聖堂もヴァチカン美術館も入場するのに、以前より長い列ができています。検査時間を短縮するためにも、なるべく荷物は身軽にして出かけることをお勧めします。
ヴァチカンを守るスイス人衛兵(グアルディア・スヴィッツィエラ、GUARDIA SVIZZERA)
ヴァチカン市国の名物のひとつは、スイス人の衛兵。16世紀の法王ユリウス2世の時代から、カトリック教会の護衛兵はスイス人と決められています。約100名ほどの衛兵は、兵役経験者の19歳から30歳の独身男性で、身長が174cm以上という条件があり、厳しい検査の合格者のみ採用されるのです。スイス人にとって、ヴァチカンの衛兵を務めたという経歴は、その後、重要なキャリアとして認められるので、スイスの若者にとってあこがれの職業だそうですが、その凛々しい姿は、常に観光客の注目の的です。
しかも、天才芸術家のミケランジェロがデザインしたといわれる、赤、青、金色の縦縞の派手な制服のデザインが特徴的です。サン・ピエトロ寺院のすぐ左側に立っています。
また、サン・ピエトロ広場をでたポルタ・アンジェリカ通り(VIA DI PORTA ANGELICA)でも、スイス人衛兵の姿を見つけられます。サン・ピエトロ広場から地下鉄A線のオッタヴィアーノ(OTTAVIANO)駅へ向かってすぐ、ヴァチカン市国内部への正式な入り口があります。ここでは、出入りする車を一台一台チェックする姿が見られます。
ヴァチカン市国の中心、サン・ピエトロ大聖堂の歴史
1.聖ペトロの殉教地に教会堂建設
ローマ神話の神々を信仰していた古代ローマ帝国時代、313年にコンスタンティヌス帝によって公認されるまで、キリスト教は怪しい危険な宗教とされていたので、キリスト教徒はローマ皇帝により激しく迫害されていました。
イエス・キリストの12使徒のひとりであった聖ペトロ(サン・ピエトロ、SAN PIETRO)も、布教のために古代ローマ帝国の首都ローマへ訪れますが、現在のサン・ピエトロ大聖堂の場所で殉教します。
聖ペトロは、イエス・キリストによりキリスト教の礎になるように、と言われたとされていて、キリスト教の初代法王です。キリスト教公認後の324年、その聖ペトロにちなんで現在の前身であるサン・ピエトロ聖堂が殉教の地、ヴァチカンに建設されます。
2.キリスト教会の中心として繁栄
キリスト教の総本山は、もともとはサン・ジョヴァンニ大聖堂だったのですが、「ローマ法王のアヴィニョン捕囚」(1309年)で、法王がフランスにいる間すっかり荒れ果ててしまい、1377年にグレゴリウス11世がローマに帰還した際に、サン・ピエトロ大聖堂が新しくカトリック教会の総本山として使われることになりました。
その後ルネッサンス時代、バロック時代を通じて、キリスト教会の権威は聖俗ともに増大します。宗教国家ながら軍隊も所有し、「ローマ教皇領」としてローマを首都とし、イタリア半島にその領土を増やしていきます。
そして、総本山サン・ピエトロ大聖堂の120年にもわたる建築費を捻出するために、法王の許可を得て大商人のフッガー家が、購入すれば罪が赦されるとしたカトリック教会公認の証明書、免罪符を販売します。そこで、1517年ドイツのルターが免罪符の販売を徹底批判し、信者は信仰に乗って読み救われる、として宗教改革が始まります。結局、カトリック(正統派)に対するプロテスタント(抗議)派が各地で誕生しますが、ローマ法王は「反宗教改革」として対抗し、教皇の至上権を誇示するために、さらに豪華な教会堂の建設も続けました。
3.市国ラテラノ条約とヴァチカンの誕生
ヨーロッパ各地で、主権国家体制が確立し、スペイン、イギリス、フランスなどの絶対王政の国々を中心に、領土獲得を目的とした数々の宗教戦争が行われる中、イタリアも1870年にサヴォイア家によって統一されました。ローマ法王の領有地、ローマ教皇領もイタリア王国領になりましたが、ローマ法王は承認せず、ヴァチカン内に閉じこもってしまいます。その後、1929年にイタリア、ムッソリーニ首相とローマ法王庁の間でラテラノ条約が締結され、サン・ピエトロ大聖堂をはじめとするカトリック教会の主要な所有地がヴァチカン市国として独立しました。言ってみれば、ヴァチカン市国とは、カトリック教会の私有財産を国家として認められたものなので、一か所に領土として固まっていないのも、そういうわけなのです。
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