NHK大河ドラマ真田丸の舞台になった大阪城京橋口の紹介

大阪

NHK大河ドラマ真田丸の舞台になったということで、昨年脚光を浴びた大阪城

大阪城天守閣へのアクセスは、大手前、青屋口、京橋口、玉造口のいずれかの門を通り、外堀を越える必要があります。

今回は、この中でも最も通行者が少ないとされる、京橋口からの風景をご紹介します。

京阪天満橋駅より、土佐堀通を東に5分ほど。大川にかかる寝屋川橋を東に渡ると、すぐ右手にもう1つ大川にかかる橋があります。これが地名の由来ともなる京橋です。京橋を越えて坂を上がると左手に見えてくるのが、京橋口です。ほら、なんと人の少ないこと。

京橋口をくぐるとすぐ正面には、肥後石(写真下)があります。表面積は33畳もあり、桜門の蛸石に次いで城内2位の大きさを誇っています。

そのすぐ左手にあるのが京橋口二番手石(写真上)で、こちらは表面積22畳で、城内7位の大きさなんです。いずれも、肥後の加藤清正が運んできたと伝わっていたため肥後石と名付けられたのですが、近年になり、備前の池田氏により運ばれたことがわかっています。

 

天守閣を目指して進むと、極楽橋にさしかかります。

この橋は、豊臣時代からほぼ位置的には変化なく、この近辺にあるそうです。「極楽」というワードからも、大阪城以前にこの地にあった石山本願寺時代から存在していたのでは、と噂されています。

 

極楽橋から見る天守閣は、アングルが抜群。天守閣の美しい姿をのぞむことができるので、橋周辺には多くの観光客がカメラを持って撮影を楽しんでいます。

そして、極楽橋付近からは、御座船(ござぶね)での内堀クルージング(大人1500円・12~2月は運航休止)を楽しむことができます。いかにも秀吉が好みそうな豪華絢爛の御座船ではありませんか。お堀からの景色はまた一興がありそうですね。

 

どんどん先に進みましょう。刻印石広場があります。

さて、大阪城内の石垣は、全国各地から運ばれてきたものなのですが、各大名は「これはうちの領土からの石である」ということを、家紋などのマークを石に刻むことで表現しているのですね。

 

二重丸は肥後の加藤家、葉っぱのマークは土佐高知の松平家など、説明書きがあるので、好きな大名家の刻印を探してみるのも楽しいものです。戦国時代、江戸時代の職人が、これらの刻印を彫ったのかと思うと感慨深いものがあります。

そして、誰もが見落としそうな場所にひっそりとあるのが、秀頼・淀殿の自刃の碑。場所ははっきりとしないのですが、夏の陣で負けを察した淀殿が、本丸から秀頼を連れ、この山里口出枡形のあたりで自刃したと言われています。静かに手を合わせてきました。

 

刻印石広場にあるスロープを上がると、山里口出枡形があります。枡形とは、外敵に備えるための四角いスペース。曲輪(くるわ)ともいわれますね。

石段をきわまで登ってみますと、なるほど、遠くまで見渡せるようになっています。柵がありませんので、落ちないように気を付けて。

石垣の上部には、このような切込みが定間隔で見られます。これは、銃などを固定させるための切込みでしょうか。

 

山里口出枡形を抜けると、目の前に天守閣が広がります。上り坂になっていることもあり、ここからの天守閣はとてつもなく壮大に見えます。まさに天守閣絶景スポット。この日も多くの観光客で本丸付近は賑わっていました。

 

 

さて、今回はこの天守閣で折り返し、青屋門から出て京橋口まで戻ってみることにしましょう。

比較的静かなルートですが、もう少しご紹介したいスポットがあります。

 

極楽橋まで引き返し、来た方角とは逆、右に進みます。梅林まで進むと、手前左側にあるのが青屋門です。

本丸から見て青屋門の方角は鬼門とされていて、当時は裏門として使用されていたようです。いつも開いていたわけではなかったのですね。

また、この付近には焔硝蔵(武器保管庫)があったのですが、江戸時代の落雷により爆発しています。この爆発により、天満辺りまで爆発物のかけらが届いたというほどですから、さぞかし大きな爆発であったことでしょう。

 

大阪ビジネスパークからの玄関口として、近年では多くの人が出入りする青屋門ですが、とても簡素な造りとなっているのは、このような事情が関係しているのでしょうか。

 

青屋門を出て、いわゆる外周道路を左に。この道は起伏がなく平坦で、ジョギングコースとして人気があります。ライブやスポーツイベントで使用される大阪城ホールは、この青屋門を出た正面にあります。

公園内を走るロードトレインも。

北外堀を眺めながら、ゆるやかなカーブを越えると、いよいよ公園出口が近づくのですが、その手前に古い赤レンガの洋館を見ることができます。大村益次郎の進言により建てられた、東洋一ともいわれる規模の軍需工場 大阪砲兵工廠化学分析場です。

見事な建物だと思うのですが、ここにはまったく人の気配がなく、幽霊屋敷のようにも見えます。何かに利用できないものかと老婆心ながら思えて仕方ありません。戦時中は軍の管理下に置かれていた大阪城ですが、まさにこれは太平洋戦争の遺構ともいえる建物です。

この出口は筋金門跡。今は左右の石組を残すだけの質素な門ですが、徳川家による大阪城再建の際に造られてからは、多くの人がこの門をくぐりました。文字通り、門扉には筋金が使用され、頑丈な造りとなっていたようです。

 

 

いかがでしたか。京橋口には、大阪城の煌びやかで壮大な印象とは、また違った一面を見せてくれるスポットが点在しています。ぜひ一度、この京橋口から入城してみて下さい。

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