北海道は古くは蝦夷地と呼ばれ、本州以南とは趣の異なる歴史を歩んできました。縄文時代からアイヌ人の歴史が続き、北海道に本格的に日本人(和人)が渡ってきたのは15世紀からだと言われます。その松前藩の祖となる和人たちが、南北海道の上ノ国町(かみのくに)を中心に一大勢力を築いていました。日本史を塗り替える、スケールの大きな中世の北海道を知るため、上ノ国町の夷王山を訪ねました。
松前と江差の間にある漁業と歴史の町
上ノ国町は函館市から西北へ向かい約82㎞の距離にある、自然と天然の良港に恵まれた人口5020人(8月31日現在)の小さな町です。アクセスは、公共交通なら、北海道新幹線の駅となったJR木古内(きこない)駅から函館バスに乗り換え約70分。南は桜で全国的に有名な松前町、北は「江差追分」や開陽丸で知られる江差町の間にある町で、観光客に人気のある両町に挟まれ、比較的地味な存在です。しかし、古くから日本海北方交易の拠点として栄え、歴史遺産も多く中世の蝦夷地の歴史をリアルに体感できる町なのです。中世史を塗り替えるような歴史遺産が、同町の夷王山にありました。
夷王山は標高159mの小さな山。山頂の傍まで車などで移動することができます。
駐車場があり、山頂までは10分ほどで登ることができます。日本海から吹き抜ける爽やかな海風が心地よく、北海道らしい気候でした。
夷王山の頂上は鳥居があり、中世の松前藩のルーツともなる、武田信廣が祀られている夷王山神社があります。そしてここからは上ノ国町や日本海をパノラマで一望できる素晴らしい眺めが広がっています。神とされた武田信廣とはどのような人物なのか、ここからは蝦夷地の中世について少々長くなりますが、説明しておきます。
コシャマインの乱から蝦夷地の支配者へ
1189年、源頼朝による奥州藤原氏の追討が行われ、藤原氏は滅びましたが、その残党が津軽から夷島と呼ばれていた(えぞがしま)蝦夷地に逃れたと言われています。その場所が江差町とも上ノ国町ともいわれています。14世紀には南北海道には、「日の本」「唐子(からこ)」「渡党(わたりとう)」と呼ばれる集団がいました。「渡党」はアイヌに似た習俗を持つ人々のほか、奥州藤原氏の残党、島流しにされた罪人、交易など武装した海人なども含まれていたそう。これら蝦夷の人々を朝廷や幕府に変わり管理していたのが青森の十三湊に拠点を置いていた安東氏でした。安東氏は、前九年の役、後三年の役で義家の朝廷軍と闘った、豪族・安倍氏の血を引く一族でした。しかし、南北朝動乱から応仁の乱の最中、安東盛季が南部氏に敗れ、1432年、十三湊から夷島へ逃れました。その頃の蝦夷は交易などで財を築いた小豪族たちが函館の志海苔舘から西は花沢館(上ノ国町)まで12の館が築かれました。安東氏はその館の守護に自らの親族を置き、安東政季の時代までに道南の政治的基盤を築いていきました。その時期に起こったのが交易のいざこざを巡って起きた道南アイヌの大規模な蜂起「コシャマインの乱」です。12の館のうち10まで落とされた安東氏と和人ですが、残った2つのうち花沢館の守護・蠣崎季繁(かきざきすえしげ)の武将だった武田信廣が謀略によりコシャマイン父子を討ち取ります。
その武田信廣が山頂で祀られているのです。この功労により、季繁の娘婿になり蠣崎姓を名乗り、季繁の没後、蠣崎家の当主となり、1470年頃、この夷王山の麓、標高100mぐらいの場所に「勝山館(かつやまだて)」を築きました。
夷王山から見下ろした駐車場と勝山館跡ガイダンス施設になります。麓まで降りる遊歩道があり、海側の北西斜面中腹に館跡が整備されています。夷王山の向こうには八幡牧野という高原が広がり、風力発電の風車が数10台設置されていて、その景色もまた圧巻です。勝山館跡などに行く前に、山中の散策路を歩き、風車の方に向かってみました。
タンポポが一面に咲く草原が広がり、その向こうには日本海が眺められ、遠く奥尻島も姿を浮かべていました。景色、気候ともに非常に爽やか、そして涼やかです。
歩いていくと、上ノ国のランドマークタワーとしての「夜明けの塔」が見えてきました。中世の山城を現代風にアレンジした八角錐で構成されています。塔の内部から日本海や桧山道立自然公園の中に連なる風車と自然の景観がまた綺麗です。
さて、素晴らしい景観を堪能した後は、再び夷王山駐車場へ戻ります。駐車場に隣接する勝山館跡ガイダンス施設は、勝山館跡の発掘品の展示や中世史を学べる施設です。館跡に下る前にここで勉強します。
入館料は大人200円。15分ほどのビデオで歴史を学んだ後、収蔵品を眺めます。勝山館跡は昭和54年から平成22年に渡り発掘調査が行われ、合計10万点もの遺物が出土しました。
勝山館の復元模型や多くの出土品を見学できます。ちょっと驚かされたのが、本物の人骨です。
平成21年の発掘調査で土葬の墓から見つかった女性の人骨だとか。骨の保存状態は良好にもかかわらず、下顎や左腕の骨がないなど謎の部分もあるとか。また、朝鮮、中国、沖縄などの陶磁器なども4万点以上集まり、交易の広さを物語っています。
圧巻の墳墓群とスケールの大きい勝山館跡
さてガイダンス施設を出て、館跡へ向け遊歩道を下って行きます。この遊歩道沿いは、勝山館跡の背後を取り囲むように、夷王山墳墓群が広がっています。
白い標柱があるのが墳墓跡となります。あらゆる斜面に土葬を中心として土が盛られた墳墓が点在しており、6地区に別れ、発見されているだけで650余基があるといいます。
長辺2m×短辺1.8mの土饅頭が中心ですが、径が7mほどのものあります。火葬した骨を箱に納めて埋めたり、遺体を曲げて長方形の棺に納め北枕で土葬したものなど多数発見されています。館の主である武田信廣も同地に埋葬されていると推定されます。基本は仏教信仰による埋葬ですが、アイヌ人の流儀で葬られた墓もあります。ですが、コシャマインの乱はコシャマイン死後も約90年に渡り断続的に続いたので、彼らは敵同士のはず。これは筆者の勝手な解釈ですが、一部のアイヌ人を懐柔し、スパイ、もしくは通訳としてアイヌ側に送り込んでいたと想像しています。
独立した都市国家の可能性も!?
中世の死者に手を合わせながら墳墓群の間を縫うように降りていき、森を抜けると、勝山館跡が見えてきました。
夷王山の中腹の斜面の尾根から海岸線近くまで約600m、広さは約35haの規模を誇る山城です。前述の出土品のほか、館としては住居や井戸、空壕、橋跡などが多数発見されています。昭和52年に国指定史跡に認定されました。
アイヌ人も和人と区別なく生活していたと考えられ、交易の広さや、性病にかかった人骨も発見されていることから、遊郭の存在も連想させ、城というより都市だったのではないかという学者もいます。これまでの常識を覆す発見も多く、日本史的にも注目されているようです。
15世紀後半に「夷千島王(えぞちしまおう)」と呼ばれる人物が李氏朝鮮に大蔵経の下賜を求めて、使者を送っています。朝鮮の正史「李朝実録」の1482年の条に出ており、大陸の国に、「王」と称したのは天皇や幕府などを除けば、「琉球王」と「夷千島王」だけです。この館跡の巨大なスケールなどを思えば、年代的にも武田信廣が「夷千島王」という可能性もあるのです。勝山館跡は慶長年間(1596~1615年)頃まで続いたと考えられていて、徳川幕府が成立し、蠣崎家が松前藩となる前は、道南地域は独立した国家的様相もあったのかもしれません。まさに歴史ロマンを感じさせますね。
勝山館跡を後にし遊歩道を下ると、狭い階段で、上ノ国八幡宮の横に出てきます。
同八幡宮は北海道指定文化財で、文明5年(1473年)、武田信廣が勝山館内に館神として建設した神社。写真の本殿は何と元禄12年(1699年)と北海道内にある最古の寺社建築となっています。
八幡宮の隣にある上國寺本堂は国指定重要文化財で、本堂建立は宝暦7年(1757年)か同8年と考えられています。開基は嘉吉3年(1443年)と伝えられ、北海道内最古の古刹と言われています。これだけの歴史がある上ノ国町。まだまだ奥が深そうです。
道南屈指の名湯・湯ノ岱温泉
最後に、オススメの温泉をご紹介しておきます。木古内に向け車なら道道5号線を15㎞ほど走ると、山間地にある湯ノ岱地区に「国民温泉保養センター」があります。
道南地方の方々には通称・湯ノ岱温泉として親しまれ、名湯として知られています。その評判は全道、そして本州からもわざわざ訪れる人もいて、週末はにぎわいを見せます。入浴料は大人350円と格安です。
源泉かけながしの天然温泉で摂氏38度の源泉のほか、42度の高温風呂、35度、そして撃たせ湯と様々な湯船があります。泉質は塩化物炭酸水素塩泉と、珍しい炭酸泉の温泉です。お湯を舐めてみると鉄分と塩分の中に、ピリッとした刺激を舌先に感じ、確かに炭酸のピチピチ感を感じます。非常にゆっくりと浸かることができ、様々な効能があり、お肌も綺麗になります。飲用も可能です。車で上ノ国に来られた方はぜひこの秘湯で疲れを癒して下さい。
まとめ
なぞの多い北海道の歴史ですが、中世以降は本州以南の時代の動きの影響を受けながらも独自の歩みを進めてきたことが、上ノ国町に行ってみて初めてわかりました。アイヌの方と、蝦夷に渡ってきた和人との軋轢、ぶつかり合いも経験しながら、今につながってきたわけです。北海道の中世史を知るにはこの小さな町、上ノ国が大きなカギを握っています。知られざる歴史にぜひ触れてみて下さい。
▽スポット情報
勝山館跡(ガイダンス施設)
住所:北海道檜山郡上ノ国町字勝山427番地
TEL:0139-55-2400
URL:http://www.town.kaminokuni.lg.jp/hotnews/detail/00000391.html
上ノ国八幡宮
住所:北海道檜山郡上ノ国町上ノ国238番地
TEL:0139-55-2230(上ノ国町教育委員会文化財グループ)
上國寺
住所:北海道檜山郡上ノ国町字勝山416番地
TEL:上ノ国八幡宮と同じ
上ノ国町国民温泉保養センター
住所:北海道檜山郡上ノ国町字湯ノ岱517-5
TEL:0139-56-3147
URL:http://www.town.kaminokuni.lg.jp/hotnews/detail/00000167.html
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