イタリアといえばキリスト教、というイメージがありますが、実は2016年の世論調査によるとカトリック教徒は66.7%。わずか10年前には87.8%だったのですから、カトリック信者の数は少なくなっている傾向にあります。しかし、キリスト教の長い伝統があるイタリアでは、宗教心とは別に習慣や伝統的な意味で、人生の節目には教会で儀式をするのが当たり前という人も多いのです。キリスト教にあまり縁がない日本人がミサに招待されても困らないように、キリスト教徒にとって大切な儀式についてご説明いたします。
生まれたらまずは教会でバッテージモ(洗礼式)
イタリアでは子供が生まれると、通常1歳になる前に教会で洗礼式(Battesimo)を行います。本人がまだ何もわからない赤ちゃんですが、親の意思でカトリック教徒として教会に登録する儀式です。祭壇で、赤ちゃんの頭に司教から聖水をかけてもらいます。この時赤ちゃんは、男女の別なく足まで隠れる白いドレスを着るのが習わしです。
ヨルダン川でイエスがヨハネから罪を清めるための洗礼を受け、天から神の声が聞こえたという聖書の記述によるものです。
カトリックでは、伝統的に水に浸していましたが、現在では、頭にかけるだけになっています。
この儀式には、両親だけではなく、パドリーノ(代父)とマドリーノ(代母)という代理父母が付き添います。代理父母は、家族にとって大切な信頼のおける人たちで、本当の両親に何かあった時に、代わって赤ちゃんを育ててくれるという約束をします。
司教による洗礼のミサが終わると、参列した家族や友人はレストランに移動して、盛大な食事会を行います。赤ちゃんが生まれて初めてのお披露目会という性質を持っているので、招待された人は、金のアクセサリーなどをお祝いに持っていく風習がありました。現在でも、洗礼の時は奮発したお祝いを持っていきます。
イタリアではお祝い返しとして、ボンボニエリという可愛らしい形の袋や箱にアーモンドの砂糖掛けのようなお菓子をつめたものが渡されます。
キリスト教徒になる宣言!プリマ・コムニオーネ(初聖体拝領)
幼児洗礼によって、わけがわからないうちにキリスト教徒になってしまっている子供たちが、正式にキリスト教徒である誓いをする儀式プリマ・コムニオーネ(prima comunione)。通常、10歳前後の洗礼を受けている子供たちが、教会へ週1,2回通い、カテキズモというキリスト教の教理や行事、ミサのマナーなどについて勉強します。この期間は、日曜日のミサへも出席することが義務付けられています。
約2年間の勉強を終えた子供たちは、プリマ・コムニオーネという聖体拝領の儀式を行います。これは、最後の晩餐でキリストが弟子に語ったことに由来するもので、キリストの肉体といわれるパンのようなものを司教から口に入れてもらい、キリストと一心同体となります。通常、5月初旬に行うので、新緑の中、白い儀式用の長い服を着た子供たちが、教会から列を組んで行進する様子はとても美しい年中行事です。この式の後も、家族、親せき、友人でレストランへ移動し、盛大な食事会です。
今のイタリア人の子供たちも、ほぼ7割くらいはプリマコムニオーネまで受けます。
キリスト教徒であるために欠かさないクレージマ(堅信式)
プリマ・コムニオーネを終えたあともキリスト教の教義を勉強し続けた子供たちが、14歳ころにクレージマ(cresima)という儀式を受けます。バッテージモ、プリマ・コムニオーネに続くクレージモまで終えると、正式にカトリック教徒として認められます。
ところが、ちょうど中学生になる頃にあたるので忙しい、という理由で、クレージマまで続けない子供が多いです。バッテージモやプリマ・コムニオーネは義務のような感じなのに、不思議とクレージマに対する関心が低いのです。クレージマまで続ける子供は、常にミサにも通う本当のキリスト教徒の家庭の出身であるようです。
クレージマも、ミサの後は大勢で食事会です。クレージマもプリモ・コムニオーネも、お祝いは現金のほか、金のアクセサリーや時計という一生使える金ものでしたが、今では携帯電話やヴィデオゲームなどに変化していっています。この豪華なお祝いをもらうために教会へ通った、という本末転倒のような話もよく聞きます。
イタリアでも憧れの結婚式は教会で
3つの儀式を受けた正式なキリスト教徒のみが、教会で神さまの前で永遠の愛を誓うのが教会の結婚式(matrimonio,マトリモーニオ)。キリスト教徒でない場合は、事前に教会で結婚講座に通い、キリスト教儀を学ぶ必要があります。
結婚式は、正式には結婚の秘跡といって、2人のキリスト教徒が生涯にわたっての愛と誠実さを神さまに誓い、お互いに助け合いながら、子供を産んで育てていくことを約束する式なのです。
当然、キリスト教徒の考え方では離婚はできません。いくら社会的には離婚していても、元配偶者が存命している間は、教会での再婚は許されていません。夫が再婚である為に教会で結婚式ができず、市役所で結婚式を挙げた夫婦が、夫の元配偶者が死亡した後、結婚30年たって教会式を挙げた隣人もいます。市役所で正式に結婚したのだから同じことではないかと思うのですが、キリスト教徒の隣人にとって、教会での式をして初めて本物の夫婦だというのです。
しかし、イタリアの離婚に関する厳しい法律がどんどん簡素化される傾向なので、皮肉にもイタリアの離婚率が急上昇しています。そのため離婚経験者が再婚して生まれた子供の洗礼をどうするか、という問題に対して教会側の意見が分かれています。
また、人口中絶、人口受精、または性同一結婚に対してカトリック教会は否定的ですが、改革を求める声も高く、今後、時代の変化に応じていくのか、バチカン、ローマ法王の発言に注目が集まっています。
人生の最後お葬式も教会で
少し前までは、人生の最初に洗礼し、聖体拝領を行い、堅信式、結婚式をした同じ教会で、人生の最後にお葬式(funerale、フネラーレ)のミサを行うというのが、キリスト教徒の一生でした。今でも田舎の方では、そういう人もたくさんいます。
お寺のお経とは違い、ミサでは普段使っているイタリア語を使うので、教会のメッセージが直接理解でき、悲しみを和らげてくれます。特にミサを行う司教が本人やその家族と個人的に知っている場合は、心のこもったスピーチを聞くことができます。
キリスト教のお葬式は、日本のような厳しい服装などのマナーはありません。急な出来事なので、参加するのがやっとで、いちいちお葬式の洋服まで用意できない、というのがイタリア人の言い分で、黒づくめではなく普通の服装の人が多いです。特に亡くなった方の身内は、所用が山積みなうえに、悲しくて落ち込んでいるので服装まで考えていられないと、普通の服装で現れます。
お葬式では、参列した友人、家族が、遺族と抱き合って慰め合う姿が印象的です。お葬式のミサをすることで、悲しみをみんなで共有しているという実感が湧いてきます。お香典は必要なく、親しい人の間で棺桶を飾る花のデコレーションを贈ることがあります。
キリスト教に改宗しようとは思いませんが、生まれたら神社でお宮参りを行い、七五三をし、結婚式はホテルで、お葬式は葬儀場で、という日本と違い、自分が住んでいる街の通いなれた教会で、人生の重大事を迎えられるキリスト教徒がうらやましいような気がします。
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