未知の発見も!函館山山麓の坂道を歩いてみた!

北海道

函館は坂の町です。函館山山麓にはそれぞれに名づけられた19の坂道があります。それは全国的に有名な坂から、生活に根差した坂まで色々。今回は、函館出身の筆者が、初めて、函館山の坂道をすべて歩いてみました。観光のメッカから、穴場の坂、新しい発見もありました。すべては無理かもしれませんが、できるだけ数多くの魅力的な坂道を紹介していきたいと思います。

 

①:函館山山麓の個性色々な19の坂道

 

北海道屈指の観光地スポットである函館山の麓には、海に向かって19の坂道が伸びています。主要坂道には写真のように看板が立っていて坂道の由来が書かれていますので、分かりやすいです。いずれもが明治から昭和初期に整備されたもので、それぞれの坂道界隈には教会や各国の領事館や和洋折衷の歴史的建造物が数多く並んでいます。

函館山山麓に坂道が多い理由として、かつて、函館が箱館と言われていた江戸期、開港からこの函館山周辺(西部地区)が街の中心地として栄えていたからです。街の繁華街は昭和期には函館駅前(通称・大門)、そして五稜郭(本町)と移っていきましたが、坂のある西部地区は繁栄期の異国情緒が今も色濃く残り、観光客を魅了しています。

 

②:全国屈指の景観「八幡坂」と「大三坂」は必見

 

まずは、皆さんが必ず訪れるであろう坂から紹介していきます。日本の坂の中でもその景観、雰囲気という意味では屈指の坂であろう「八幡坂」。ここは金森倉庫などベイエリアから歩いてすぐの場所であり、函館山山麓の中心部にもなります。湯の川温泉に宿泊されている方は市電が便利。湯の川温泉電停から乗車し、25分ほどの「十字街」電停で下車すると徒歩5分ほどになります。

約290mの石畳の急坂を上ります。坂の行き止まりは道立函館西高校です。演歌界の大御所・北島三郎さんや、作家の辻仁成さんの出身校です。そこから見下ろす函館港の景観は絶品としか言えません。数々のCMや映画、ドラマの舞台になっているのもうなずけますね。函館港内に繋留されている青函連絡船の摩周丸がアクセントになっています。昼も綺麗ですが夜は連絡船がライトアップされ、さらにロマンチックに。また、冬場1~3月はイルミネーションに彩られ、ため息が出る美しさです。

訪れた方は皆さんが一様にため息をついてしまうほどです。常に入れ代わり立ち代わり観光客が訪れるので落ち着けませんが、超定番の坂と言えます。八幡坂から東に石畳の道を歩くと、定番の観光スポットである古い教会群があり、それに囲まれている短い坂が「大三坂」です。坂の入り口に宿舎を経営していた大三印義兵衛から取られたとか。

石畳の異国情緒あふれる坂道は1987年に「日本の坂百選」に選出されています。作家で評論家の亀井勝一郎生誕の碑もあります。大三坂の上には細いながらも急な石畳の坂「チャチャ登り」があります。チャチャはアイヌ語で「おじいちゃん」の意味だそうで。誰も腰を曲げて登る急坂のためつけられたようです。小さい坂ですが道沿いにはハリストス正教会聖ヨハネ教会があり、趣のある小坂です。

③:函館西部地区観光の中心地「基坂」

 

函館の観光の中心ともいえる、「基坂」も忘れてはいけません。皆さん必ずおとずれているであろう八幡坂、大三坂とならぶ代表的な坂道です。明治時代に里数を図る基点の指標が立ったことから名づけられたようです。また、同坂付近は江戸時代から幕府、明治政府の官公庁が坂上に置かれていたことから「お役所坂」などと市民から親しまれました。

坂上には観光拠点となる元町公園旧函館公会堂など、坂途中には旧イギリス領事館があり、函館有数のお洒落な観光名所のひとつ。元町公園には観光案内所もあります。

この元町公園からの夜景も一見の価値ありですよ。函館山などから望む景色とは違いますが、湾曲した函館湾の眺めはとても綺麗です。

観光客の定番の最後は「二十間坂」です。八幡坂から南隣にあり、その名の通り道幅が二十間(約36m)あることから名づけられています。函館は風が強く、明治から昭和にかけて度重なる大火に見舞われているため、明治期に防火線として整備されています。

石畳が整然と敷き詰められ、非常に美しい坂です。八幡坂と並び、冬場はイルミネーションが綺麗で坂下の開港通りまで伸びて、非常に幻想的。観光バスの往来が激しいのがたまにキズですが八幡坂より混み合っていないので、タイミングが合えば絶好の撮影スポットにもなります。

 

④:いぶし銀の魅力あるオススメの「幸坂」

 

これまでは知名度が高く観光客にも人気の坂を紹介しましたが、ここからは、筆者が歩いてみて面白いと思った坂、お気に入りの坂を中心に紹介していきます。まず、坂道めぐりをしたいな、と思った方は、市電「函館どつく前」で下車し、一番西側に位置する「魚見坂」からひとつずつ歩いてみることをオススメします。

港に押し寄せてくる魚群を見下ろせたことから名づけられたそうです。この坂の奥に、外国人墓地などのスポットがあります。その隣の坂は「船見坂」。港を出入りする船舶がよく見渡せることから名づけられています。

この坂は、戦後、坂上に学校ができたので、途中で途切れていますが、坂の途中には「大正湯」という、昭和3年に建てられた、趣のある銭湯があります。かつては漁師や市民などで賑わったようです。

今でもお年寄りや市民の憩いの場として活躍中で、私も、高校生時代(昭和時代ですが)に入った記憶があります。湯の里でもある函館は温泉銭湯が多いですが、ここは普通の湯のようです。歩きつかれたら、このような銭湯で体を休めるのも旅の醍醐味でしょう。また、映画「パコダテ人」にも登場しています。

 

船見坂の隣は、生活感たっぷりの千歳坂があり、坂の上には東本願寺船見支院実行寺称名寺などの歴史ある寺が並んでいます。

写真の実行寺安政元年(1854年)、ペリー提督が来港したときのスタジオとなり、そこで披露された写真技術が衝撃を与えたそうです。また、箱館戦争で戦死し、放置されていた遺体を住職が引き取り寺に葬った美談も残されています。称名寺新撰組の土方歳三慰霊の碑や、箱館の豪商・高田屋嘉兵衛一族のお墓などがあり、一見の価値があります。

そして、その隣が個人的には、観光客に人気の坂以上にお気に入りの「幸坂(さいわいざか)」です。

明治8年、坂下の港湾を埋めた場所が幸町だったことから名前がつきました。長さ約620mの長い坂で登れば登るほど、急な傾斜になっていて、登るのには一苦労です。しかし、坂の上部には荘厳な旧ロシア領事館が目を楽しませてくれます。

明治41年に竣工した同領事館は、ドイツ人が設計、西欧風の建物に日本の意匠が加美されています。ロシア革命後の大正14年(1925年)にソ連領事館になり、昭和19年に当時の領事が引き揚げ閉鎖されました。その後。市が領事館を購入。平成8年まで「函館市立道南青年の家」として青少年の宿泊研修施設として利用されていました。現在は一般の見学は行っていません。筆者も部活の合宿で宿泊した思い出のある建築物です。

長い坂も頂上の山上(やまのうえ)大神宮までたどり着くと、そこには絶景が待っています。

こちらは山上大神宮の下にある船見公園から見た函館です。電線が邪魔ですが、八幡坂とはまた違う、函館湾を一望する開放感あふれる景色が広がります。山上大神宮からの景色も素晴らしいです。

歴史ある神社で元々は室町時代初期が起源と言われ、北海道最古クラスのようです。同地に移転したのは明治35年(1902年)。8代目の神職澤辺琢磨は旧土佐藩士で坂本龍馬や武市半平太の親戚筋で、新島襄(同志社大学創設者)の海外渡航に手を貸すなどしています。また、函館戦争時、榎本武揚率いる旧幕府軍(幕府脱走軍)に加わった桑名藩主・松平定敬の御座所に使用されるなど、歴史的にゆかりもあり、歴史ファンにはコアな人気もあります。

本殿は、函館の神社建築では唯一、景観形成指定建築物に指定され、趣タップリ。

また、幸坂は地味に映画ロケにも使われていて、「スノーフレーク」で主演の桐谷美鈴が同坂を自転車で一気に駆け下りていくシーンが印象的。山上大神宮も名作と名高い綾野剛主演「そこのみにて光り輝く」のロケに使われています。幸坂は八幡坂などと比較すると地味ですが、景色、雰囲気とも質実剛健で、個人的オススメ坂です。

 

⑤:弥生坂にあった箱館戦争ゆかりの地

 

幸坂の隣は姿見坂常盤坂と続きます。こちらも生活感あふれる坂ですが、かつては坂上に遊郭があり栄えたとか。今もそこかしこに古い民家や蔵などが散見され、函館の歴史を伺わせます。常盤坂のお隣が「弥生坂」。ここが今回、新たな発見があった坂でした。弥生坂は函館山の主要な坂では最も長い720mを誇ります。

かつては2本の坂からなっていました。その名前は「称名寺坂」「西の坂」「薬師坂」「七面坂」など様々に呼ばれていました。明治12年(1879年)の大火後に1本に整備され、春の意味となる「弥生」を用いた名になったとか。この坂も上るにつれて急傾斜となります。坂の中盤には弥生小学校や旧函館西警察署を利用した臨界研究所が見えます。坂の上部にくると、道は急に狭くなりさらに急になります。

ここからは函館出身の筆者も初めて足を踏み入れます。もちろん観光客の方が足を運ぶことはまずないでしょう。しかし、歴史好き、幕末好きなら訪れてみる価値があることがわかりました。「箱館戦争ゆかりの地」との看板があり、細い道を少し登ると咬菜(こうさい)園跡があります。

現在は民家なのですが庭園はかつてのままのようです。安政4年(1857年)地元の名主・堺屋新三郎が箱館奉行から同地を払い下げ、庵を作り、箱館一の名園として親しまれました。明治2年(1869年)箱館戦争時、旧幕府軍の追討例が下り、新政府軍が東京を出発した報を受けた旧幕府軍総裁の榎本武揚は同年3月、幹部6人とともに死を覚悟した清遊を行いました。最後まで降伏を拒否し息子2人と壮烈な最期を遂げた中島三郎助らはこの時、辞世の句を残しています。故郷にこのような歴史ある穴場があるのをウン十年も生きてきて初めて知る。徒歩の旅の醍醐味を改めて感じます。

 

⑥:箱館戦争の新政府軍戦没者に手を合わす

 

さらに上に歩き、民家のある所を右折します。もう山の中腹ぐらいにきてるのかもしれません。そこには新政府軍の海軍で戦死した方の慰霊碑とお墓があるのです。車を洗っていた地元民の男性に声をかけられ、「ぜひ手を合わせてあげて下さい」と話しかけられました。

民家を通り抜けた森の中に「己巳役(みしのえき)海軍戦死碑」が姿を現します。

大きな石碑に沈んだ船の名前と戦死した方の名前が刻まれています。明治2年5月11日に箱館湾海戦で旧幕府軍の砲撃で沈没した新政府軍軍艦「朝日」の乗組員73名が戦死しています。地元の方のお話では石も船型に削られているそうです。また当地に葬られているお墓も3つ。筆者は箱館戦争を色々と調べていて、旧幕府軍にシンパシーを感じているのですが、結果的に戦争という忌まわしい行為の悲しい犠牲者に変わりありません。お盆時期でもありましたので、厳粛な気持ちで手を合わせました。いずれ、箱館戦争ゆかりの地を巡る記事も書いていきたいと思います。

こんな場所は地元民でもよっぽどの通でなければ訪れないでしょう。しかし、幕末好きの方には堪らない場所だと思いますし、御霊に手を合わせて欲しいと感じます。奥深い「弥生坂」、ぜひ観光コースのひとつに入れてみては。

弥生坂の隣は「東坂」。この坂の中間には、「中華会館」のたたずまいが目を引きます。

純中国洋式の建築としては日本に現存する唯一の建物です。明治時代、海産物貿易が中国と函館の間で行われ、在函華僑が信仰する、三国志時代の武将・関羽を奉祀する場所として中国から大工、彫刻師、漆工を招き、レンガなどの建築や祭祀の資材も中国から取り寄せ、3年の工期を経て明治43年(1910年)に竣工しています。かつては内部も公開されていた時期もあると記憶していますが、今はその様子は感じられません。しかし、函館と中国の友好かつ唯一の文化的遺産として今も丁寧に管理されています。

 

⑦:日和坂の上は義経伝説の船魂神社あり

 

「東坂」の隣は前述した基坂で、その隣は「日和坂(ひよりざか)」です。

この坂からは港を一望でき、空模様がよくわかる、という意味で名づけられています。坂上にある、船魂(ふなだま)神社は北海道最古と言われる歴史があります。また、義経伝説でも有名で、奥州平泉から逃れた源義経が津軽から渡航したときに遭難しかけましたが、船魂のご加護で北海道に上陸できたという伝説もあります。

日和坂から八幡坂大三坂二十間坂と有名な坂があり、その隣が「南部坂」があります。ここは、函館山ロープウェー乗り場があり常に人の流れが多い場所です。

坂上には日本で2番目となる近代水道となった「元町配水場」があり、公園化し、憩いの場となっています。観光の方はここで休憩するのも一考です。

 

⑧:風格タップリ、見どころ多い「護国神社坂」

 

南部坂の隣は短い「谷地坂」があり、その隣に広い「護国神社坂」が構えています。名前の通り、坂上には護国神社があります。当時は招魂社という名前のため、「招魂社の坂」、当時の町名を取って「汐見坂」とも呼ばれていました。

坂の上り始めは中央分離帯に高田屋嘉兵衛像があり、かなり広い坂です。また、古い蔵を改造したカフェや函館の老舗菓子屋さん「千秋庵総本店」、中腹には昭和8年建設の函館市公民館など趣のある建築物もあり、見どころが満載。

坂上の護国神社明治2年、戊辰戦争で亡くなった新政府軍兵士を弔うために明治2年(1869年)に建立されています。同神社の横には箱館戦争で亡くなった新政府軍兵士の墓もあります。

坂下から見上げると赤い鳥居が鮮やかで、この坂は様式美を感じさせてくれます。また坂上の護国神社からは、函館港とは逆側の大森海岸を眺望でき、これまでの坂と雰囲気も変わり、なかなかの景観です。

 

⑨:青柳坂の上は市民の憩いの場「函館公園」あり

 

この護国坂神社を過ぎると、華やかな異国情緒あふれる西部地区とは変わり、生活感が増し、北の港町という雰囲気。護国神社坂の隣は「あさり坂」古代人が食べたアサリ貝の殻が数多く発見したことから名づけられています。

ここはなんてことのない坂なのですが、坂に向かう途中で、「亀井勝一郎文学碑」が目の前にあります。また坂下には、明治34年(1901年)創業の、老舗すきやき店「阿佐利本店」の時代と風格を感じさせる建物が目を引きます。

老舗とはいえ、意外とリーズナブルに黒毛和牛のすき焼きが食べられ、味も保証付きなので、函館グルメを食べる時には候補に入れてみて下さい。坂の最後は「青柳坂」です。市電の「宝来町」から「青柳町」電停の間から伸びる坂。民家が並ぶ閑静な坂道です。

坂上には函館市民に親しまれる函館公園があります。明治12年(1879年)に市民によって造成されました。

春はお花見、秋は紅葉に包まれ、ミニ遊園地に動物園、そして市立函館博物館などがあり、歴史的建造物も多いです。遊園地こどもの国は、こじんまりとしたものですが、日本最古の小さな観覧車が存在感を出しています。

お散歩やお子さん連れの方にも楽しんで頂ける公園だと思いますよ。

 

まとめ

 

非常に長くなってしまいましたが、視点を変えて、このような坂道めぐりを行えば、ただの観光では見えなかった、函館の違う側面や穴場を知ることができ、個人的には非常に有意義でした。ちょっと体力を使うかもしれませんが、ディープに函館を知りたい方には「坂道めぐり」、ぜひともオススメしたいですね。

 

スポット情報

旧函館公会堂

住所:北海道函館市元町11-13

TEL:0138-22-1001

 

元町公園

住所:北海道函館市元町12-18

TEL:0138-27-3333(函館市元町観光案内所)

 

大正湯

住所:北海道函館市弥生町14-9

TEL:0138-22-8231

料金:大人440円、小人140円

 

実行寺

住所:北海道函館市船見町18-18

TEL:0138-22-0341

 

旧ロシア領事館

住所:北海道函館市船見町17-3

TEL:0138-27-3333(函館市元町観光案内所)

 

山之上神宮

住所:北海道函館市船見町15-1

TEL:0138-22-1819

 

咬菜園跡

住所;北海道函館市船見町3-8

TEL:函館市元町観光案内所

※私有地のため敷地内は立ち入り不可

 

己巳役海軍戦死碑

住所:北海道函館市船見町6-8

TEL:0138-27-3333(函館市元町観光案内所)

 

函館中華会館

住所:北海道函館市大町1-12

TEL:0138-22-1211(函館華僑総会)

 

船魂神社

住所:北海道函館市元町7-2

TEL:0138-23-2306

URL:http://www.funadama.com/

 

函館護国神社

住所:北海道函館市青柳町9-23

TEL:0138-23-0950

URL:http://hakodate-gokoku.jp/

 

すき焼 阿さ利本店

住所:北海道函館市宝来町10-11

TEL:0138-23-0421

定休日:水曜日

 

函館公園

函館市青柳町17

TEL:0138-22-7255(管理事務所)

URL:http://www.hakodate-jts-kosya.jp/park/p_hakodate.html

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